2022年12月31日土曜日

あけましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いします

今年の目標は昨年と同じです

少しでも良い詩を創りたいな

ウサギ年です 飛び跳ねて

この前 19歳だったのに

歳月は人を待ってくれない

時に及んで 勉励すべし

親がいたころは

何も思わなかった

月が欠けても洪水がきても

何にも 感じなかった

野原には花が咲き

空には鳥がたくさん飛んでいた

大人たちは

みんな笑っていた

あちこちに集まって

なにかと理由をつけて

酒を飲んでいた

だから安心だつた

そのうち みんないなくなって

自分が おじいさんと

呼ばれるようになっていた

ゆっくり歩くようになり

もたもた話すようになり

あたりがかすむこともあった

老いという世界に

入っていた

らしかった

今年も生きていく















2022年12月30日金曜日

天神さんを

 床の間に飾って 今年も

玄関のかざりも うまくいった

ガラス窓 を洗って

半分を 右手で 拭いて

反対側にスライドして

残りを

左手で 拭いて

小学校の窓ふきを 思い出す

息を かけて はあはあ

チャイムが鳴ると 廊下へ移動したな

正午 Sさんが ジャガイモ

第9の合唱を 10年連続出場したらしい

ベートーベンも さぞ嬉しい だろう

歓喜 歓喜 歓喜

夕方 Mさんから カレイ をいただく

陸や海のもの

有難くいただいて

迎春準備は 順調に 

いきました はい





2022年12月28日水曜日

三国へ行った

 海を見ている少年と

海を見ているカメに

一年のお礼を伝える

毎年 三国の海に行く

はんぺんも買うよ

雨が降っている

三好達治がいた あの岬

よく行く

今年も行った

年賀状をポストにいれた

午後3時過ぎに取りに来ると

道の駅には書いてあった

だから全国の皆さん

私の年賀状は三国から投函した

白波は寄せて返すぞ24時

則武さんの詩

三国は いいな

良さを わかっていない 人も 多い

あんとう

おしま 浜地

いいな

埼玉の稲川君は2度も やってきた

いいなと言った

栃木の兵藤君も 2度やってきた

高見順の生まれた場所さ

荒い波のとんがった場所さ

誇れる場所さ

若狭のぼくからみても

うらやましい

場所だ


2022年12月27日火曜日

今日は寒かった

 年賀状を書く

喪中で 欠礼するという

多かった

親が まだ 生きていたのか

なあんだと いじめたくなった

だけど

今まで親が 生きていたのも ご苦労様と同情した

親は早く死ぬがいい

そうすれば 子供は いつまでも 親を慕う

親も嬉しいだろう

だが親になってみれば とことん生きて

ざまあみろと 笑いたい

なにしろ

嫁が姑になる なら

親だって 出世したい

鬼親になりたい

張さんは言った

 大便は だあべん

小便は しゃおべん

似ていますね

日本と中国

どうして争うか

私は言った

近くにいると喧嘩するのさ

おかしいね 張さんは言った

私たちは 水餃子を食べた

日本は どうして焼くのか

私は言った

餃子は焼くものだ と聞いている

変ですね

張さんは言った

まあいいでしょ

あれから40年たった

私たちはあの時 飲んで 歌った

はるぴん はるぴん はる ぴん ぴん

はるびん びん びん だと

もう政治は いらないのではないか

餃子を焼くか 水餃子にするか

を 議論すべきではないか



灯油を買う

灯油と言う漢字は ロマンチックだ

寂しい漁村に波が寄せ

正月になれば 都会に行った子供が

帰ってくる

親は温かくしてやりたいから

灯油を多く買う

孫はパソコン ばかり いじって

ことしは来ないと言う

そうなると大変だから じじいは

最新のウオシュレット 

帝国ホテル同等の 最新の

便座を温めて 待っている

やっぱり寒いから いやだ と言う

これで 肥料の循環が切れた

なんでわからないのだ あほ

征露丸 鴎外だって 野菜を食って

日露戦争に勝ったのだ あほ

ああ あああ しかし

あの北の国に いま暖房はあるか

大油田はあるらしいが

自分の時間

 自分の時間を大切に使おうと思う

国は 戦争や戦争の準備はやめて ほしい

右も左も 思想ではなく普通の気持ち

吉田茂は考えたのさ

アメリカに守ってもらおう

占領されても 

お陰で 昭和は 長く 平和だった

税金で ミサイルを買うのは 反対だな

ぼくは老人だから

若い人のために 反対する

うまい酒飲んで 歌を歌って きた

せっかくもらった命 地球の 青い水飲んで きた

白い雲を眺めて

短い ヒトの生涯を楽しみましょう

鳥や動物 蛇を除けば そんなに悪い奴は いない

バッタやイナゴは大発生さえ しなければ 

熊もサメも 熊の胆 ふかひれ でいただく

さあ 人殺しは やめろ

人は 必ず死ぬのだ

小学校で 同級生 二人が 泣きながら

喧嘩をしていた 一人が噛み ひとりは首を絞めて 

ぼくたちは 怖くて帰った

2時間後 学校へ見に行くと まだやっている

今度は 一人が首を絞め ひとりは噛んで

女先生が来て バケツで 水をかけて

「ひまわり」あの映画を よくみてください


  


詩人の賞

若いころ

詩集を出して 得意になっていたら

栃木の詩人 霧林道義さんから

手紙が来た

きみも とうとう このような

詩人レースに参加して

なさけない ことだ

何をしているんだ

困ったことだ

ひとりで 風の中に

立っていなさい

叱られた

詩人になるのは 詩を通して

自分の人生を確立することだ 

詩集を出して賞をもらって威張ることではない

詩人賞の投票用紙が届き

推薦してほしいと言う詩集も届く

数票差で次点になった 可愛そうな人に

まだ ぼくは 霧林さんのように

注意できない でいる

ということは ぼくは

まだまだ だめなのだ

やはり 特選 優秀 優 良 可 

不可は やりなおし

人生を ですか いいえ 詩の行を 

それなら よかった

本棚に 子供たちの 盾がある

読書感想文 優秀賞

そういえば

太宰が芥川賞を欲しいと言った クダサイ

きみに高村光太郎を あげる

草野心平は書いた

高村光太郎 賞 の字が抜けていた と

山本和夫は、「戦争」で文芸汎論詩集賞

杉山平一も、「夜学生」で

二人とも優しい人だった

ぼくとよく似ていると

杉山さんは、突然 詩集と手紙をくれた

うれしかった






2022年12月26日月曜日

年賀状を

 出したい人から

喪中欠礼の挨拶がえらく多かった

一度飲みましょう

という楽しい年賀状があった

奥様から はがきが来た

7月に亡くなったと

それじゃあ どこで飲むのか

当分 延期だが そのうち連絡があるだろう

便利な世の中になった

電波さえ届けば

宇宙でも会話できる

「大黒屋光太夫」の漂流記

を読んでいる





鏡餅を買ってきた

 餅は餅屋というが

餅ばかり並んでいて

僕の好きな団子は休み らしかった

鏡餅は 床の間では

セロハンにくるんだまま にしてください

でないと ひび割れ します から

みると 乾燥剤が入っている

乾燥すると ひび割れする のに

そう思ったが黙っていた

僕は頭の中で 保湿剤を想像した

やがて 鏡開き のことを想像した

割るではなく 開く

剣道や柔道の 初稽古の後で

子供たちが 道着のまま ぜんざいを食べる 

そういう少年時代も いいな

餅は普通に飾ればよい 

ひび割れても いい 

そう思ったが黙っていた

サンタは寒い国へ 帰っていった 

不景気で プレゼントも少なかった

空路ではなく 駅に並んで切符を買っていたという

あれは学生アルバイトのサンタだ

プラカードを下げていた

芥川の「歯車」の世界と ぼくは違う

芥川賞はもらえない が それでいい

歯車は見たくない

ぼくの「閃輝暗点」は消えた

ありがたい



ホワイトクリスマス

キリストに敬虔な祈りを

ささげる予定だったが

イタリアン・レストランで飲んで

よたよた帰ってきた

キャビアだったかキノコだったか

聞いたことのない 料理で

有名なワインだった

ぼなセラ あるべ出る地

ちゃうちゃう バンビーナ

半年前に予約してたから

雪の中 出かけたのだ

この前 「ローマの休日」を見て

泣いてしまった

涙もろくなったものだ

外は雪が降っていた

除雪車が走っていく

戦争は寒い

独ソ戦 戦車のオイルが凍てついて

こころが 壊れそうになる

はよう やめんかい 



2022年12月18日日曜日

寒い

ぼくらの戦争なんだぜ(高橋源一郎)朝日新書を読んだ

あられが舞う畑に

豆を蒔いた

急に晴れてきた

天気予報は100センチの雪というが

1センチもないぞ

ただ寒い

寒い

寒い寒くない

というのは 寒不寒 (らんぷうらん)

と 教わった ことがあった

ハルピンから来た留学生 だった

季節は冬だ


2022年12月10日土曜日

椎の木

 椎の木を抜いた

大きくなりすぎて そろそろ 伐らないと

狙っていた

近所のおじさんが 手伝ってくれて

根を切って 掘って また掘って 切って

チェーンで ぶら下げて 引っ張って

重かった なかなか 上がらない

蝉が 3匹眠っていた 

初めて見た 可愛そうなので 別の場所

に穴を掘って 移した

根を切りながら 昔 台風が来た夜

近所の小屋から重いトタンが

降ってきて それをこの木が防いでくれた

ありがとう の気持ちが

湧いて 塩をまいて

拝んで 抜いた 重い

根っこを ばらばらにして

車に積み込むとき

小指が挟まって 眼に 土が入り 

腰が痛む

このようにしてまで 抜く必要はあったのか

この 椎の木の寿命は 40年だった

小さな苗木を持ってきたのは

親戚のおじさんだった

とっくに なくなっている

お酒の好きな 痩せた人

椎の木の お礼を 施設で話したが

記憶に ないと 言った

今日 40年ぶりに椎の木を倒し

ぼくも なんとか 生きてきた









孫が生まれた

 横浜で4人目の男の子が生まれた

僕には二人の息子がいて

その二人に計4人の息子がいる

僕は こうなると

女の子が一人いてもいいな なんて

横着なことを考える

反省しなさい

毎日 朝飯を食えるだけでも 有難い

食道や胃に 炎症があれば のどを通らない

高見順が 脳より食道が大事だと

それに腸が悪いとか肝臓やら膵臓

胆嚢やら脾臓と脳血管障害

心筋梗塞に糖尿病

おおい しっかりしろ

しっかりしろ 何してるんだ

ぼくは昨日 市役所に行った

除雪の相談に

町内を代表して

だけどなかなか 真っ直ぐな回答は なかった

つまり 雪でけんかをするな と

相手は言うのだった

そうだな




2022年12月3日土曜日

ひょっとして

 僕は 死ぬのじゃないか と思った それは

この1週間で25人の人たちと

出会ったり 会話した

ちょっとおかしいだろ

詩の仲間や昔の仕事仲間

町内会の人たち

先輩 親戚も

ちょっと異常だ

だから今日も 椎の木を抜くのに

庭にパイプで三脚を組んで

根を切りチェーンブロックかけて

引っ張り上げたが

幹がめりめりと しなり 怖くなった

今にもパイプが 折れそうで

ぱああんと幹が はじけそうで

作業を中止して家に入った

すると息子から

まもなく 子供が生まれそうだと 電話があり

まあすこし落ち着いた

4人目の孫で ぼくはじじいだから

いつ死んでも 仕方ない 西空を見上げた

そうだ もう社会は 僕を必要としていない

まてよ 前もそうだった

この地球で生まれ 死んでゆく

それだけなのだ なあんだそうなのか

命が尽きるまで朗らかに

暮らしていけばいいのだ

花のように 春を待ち

小鳥のように暖かい巣を作り

時間が来たら よいしょっと

跳んでいけばいいのだ