驚いたこと①
四十年以上前になるが、
世田谷の親戚から
受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、
東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に。乗客は下へ下へ、階段を降りる。
わが故郷の駅は、
ホームから階段を昇る。
雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。
エンジンがかかっているが動かない。
田舎のバスはエンジンがかかれば発車する。
ドアを叩く。
「等々力(とどろき)行きはどれですか」
「知らない」
運転手さんは、ひどく無愛想だ。
一時間後ようやく見つかった。世田谷まで二時間、
夕暮れになっていた。
京都への修学旅行とほぼ同じ。
東京は広い、知らねばならぬ。
翌日から探検を開始した。
都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。
日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。
プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、
二台もガレージに並んでいる。
兄は先日やっと軽のスバルを
月賦で買ったというのに。
勝手口から大きな白い犬と娘さん
が出てきた。
正門から黒い車。運転手は白手袋、
これは映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲か。
すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。
わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいた。
しかしだらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/
小さい出窓は朝日を受けて/
まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
高村光太郎の「我家」
という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
三月の大地震と大津波で、被災された方々は、
肉親や友人を亡くされ、家や思い出の品、仕事を失い、
避難所で不便な日を過ごしている。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、
トイレに行く何気ない日常。そのありがたさを、しみじみ感じている。
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