2013年10月5日土曜日

驚いたことシリーズ②

 驚いたこと②
 東京の国電にトイレが無いのは恐ろしいことだ。
あれほど多くの人々がすし詰めで、腹の具合が悪い人がいないとは。
 電車で病院へ通う人もいるはず。病院の待合室で、気分が悪くなり耐え
切れずに、ベンチに横になる人がいる。
 この都会では、手術を受ける人は、ハイヤーで行くのか。高見順が病院へ行く日、電車に乗っている詩がある。
/電車が川崎駅にとまる/中略/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/中略/さようなら/「青春の健在」帰れるから/旅は楽しいのであり/旅の寂しさを楽しめるのも/わが家にいつかは戻れるからである/「帰る旅」
 入学式の朝、総武線の水道橋駅か市ヶ谷駅で腹が痛い、電車を降りた。駅員さんに聞くとずっと向こうのホームの端にあるよ、工事中の鉄の階段を降り、いけどもいけども到着しない。
 絶望寸前まで追い詰められ、一つだけ個室があり、ぼろぼろのドアが閉まっていた。取っ手も曲がっている。私は、全力で、猛然とドアを引っ張った。故郷の駅では、未使用中ならドアが閉まっている。入学式の欠席は入学の意思放棄とみなされると思った。
 つまり、これまでの努力がすべてパーになる。冬の夜の受験勉強も、親がくれた背広も、ひとたび黄変すれば、式には出られない。
 左足を壁にかけ、腰から全力で引っ張った。あれだけ全力を出したのは後にも先にもあれが最後だ。
 しかし東京の駅のトイレは、未使用中は開いているのである。
やがて、どんどんという激しい音と「馬鹿やろう」「ふざけやがって」怒鳴り声と共に男が出てきた。「お前、馬鹿か」。しかし、その瞬間私はドアの中に入り、間一髪だった。一ヵ月間、腹の調子が悪かった。今は誰も信じてくれないが、やせて神経質なハンサムボーイだったのである。やがて六月にはデパートのトイレも覚え、電車の中で傘をたたむ余裕も見せた。ただしハンカチ、鼻紙はいつも忘れなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿