2022年10月31日月曜日

写生大会

 昭和34年に小浜公園に銅像ができた

私は小学2年生で

銅像を囲んで絵を描く

マントに短剣を下げた三方町北前川の海軍大尉

佐久間勉艇長という

岩国沖で潜水挺が浮上せず

死の直前まで克明な手記を残した

殉死 軍神と讃えられたが

それを理解するまで20年もかかった

記憶の中にある銅像は、青い服で青い顔

青色ばかりで変な絵になった

60数年前の写生大会


 明治43年(1910)4月15日、第六潜水艇遭難、乗組員14人が殉職。佐久間勉 艇長32歳。福井県三方郡生まれ、海軍兵学校29期。ガソリン潜行実験の訓練中、午前10時45分頃、浸水発生、海底に着低した。翌日引き揚げられるが、乗組員はきちんと所定の配置で息絶えていた。佐久間艇長以下、最後まで任務を全うし、事故原因、乗組員遺族への配慮を求める遺書を残し、全世界を感動させた。遺書は漢字とカタカナで子供には難しい。漱石や与謝野晶子のこともいろいろとあるみたい。

「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠二申シ訳ナシ、・・されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、・・・・・遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり」「願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を・・・」「沈没の原因。ガソリン潜航の際、過度探入せしため、スルイスバルブを締めんとせしも、途中チエン切れ、よって手にて之を閉めたるも後れ、後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり」「沈据後の状況。一、傾斜約仰角十三度位 一、配電盤つかりたるため電灯消え、電纜燃え悪ガスを発生、呼吸に困難を感ぜり。十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ」

「一、沈下と共にメインタンクを排水せり。灯り消えゲージ見えざるども、メインタンクは排水し終われるものと認む」「電流は全く使用するにあたわず、電液は漏れるも少々、海水は入らず、クロリンガス発生せず、残気は五百ポンド位なり。ただただ頼むところは、手動ポンプあるのみ。ツリムは安全のためヨビ浮量六百、モーターの時は二百位とせり。右十一時四十五分、司令塔の灯りにて記す」「溢入の水に侵され、乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり。世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤まりなきを確信す」「一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは停止して動かず、この辺深度は十尋(ひろ)位なれば、正しきものならん 一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思ふ」「我れは常に家を出ずれば死を期す、されば遺言状は既に『カラサキ』引き出しの中にあり。(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ、之を愚父に致されよ)」「公遺言 謹んで陛下に申す。我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ。右の諸君によろしく。一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将」 「(気圧たかまり鼓膜破らるる如き感あり)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)一、船越大佐、一、成田綱太郎先生 一、生田小金次先生」「十二時三十分、呼吸非常に苦しい。ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソリンにようた。一、中野大佐 十二時四十分なり ……」

 私は、こういう上司には、会わなかった。恐らく私も任務を全うするだろう。寒い秋空を鳥の大群がうねりながら激しく舞っている。「時代」というものを感じることができる脳みそに成長した私の脳みそに感謝している。私も小浜中学(若狭高校)だから。

2022年10月30日日曜日

長い夢

 長い夢をみた

口を開けて寝ている

口の中に誰かが

細かな山砂を

園芸用の小さなスコップで

絶え間なく注ぎ込む

苦しいからやめてくれと言うが

あたりには誰もいない

小さな鶏小屋のそばで

夕焼け空の下

私は横になって

なぜか横須賀線の線路のそばを

漂っている

やがてようやく

誰かが私の名前を呼ぶ

しかしそれは私の名ではなく

名札は すでに取り外され

故郷の山の反対側の

海の中に

海草とともに浮かんでいる

船の白い船腹のあたりに漂う

クラゲの中に

よく似た表情の私が

笑っている


2022年10月26日水曜日

南信雄さんの詩碑

 天気が良いので

越前海岸の

南信雄さんの詩碑を触ってきた

風は思ったより強く

ジャンパーのポケットから

携帯電話が飛び出そうになって

思ったよりも大きい

南風

57で亡くなった

南さんらしい詩

大きな岩に刻んであった

誰も来ないのか

塗料が剥げて略歴が読めない

仕方ないな

みんな死んでしまって

海が騒ぐばかり

赤いきつねと緑のタヌキを買う

そばのかき揚げ

うまい

この世はいろいろあるが

様々で

仕方ない

ただの生物なのだ

地球の小さな生き物なのだ

私たちは



30年ぶりに会議に出て

 懐かしい顔を見て

何となく 声の張り は弱い

40歳の働き盛り

が70歳になっているのだから

仕方ない

ワイワイ言っていた人が

80歳になっている

仕方ない

顔を

出さない人

体調がすぐれない

という

衰えるのだ

人は加齢によって

衰えていく

生物なのだ

枯れ木が静かに倒れるように

朽ちて

象も倒れる

ライオンも牛もトラも

猫もカエルも蚊も

生きるものはすべて消えていく

生きていた時の思い出を残して

宇宙の塵になる

光になる


2022年10月25日火曜日

She Came in Through the Bathroom Window

 My holiday

I get up at seven in the morning

I wash my hands and clean my  teeth

summer is over


you never give me your money

 Oh

My Methodological old days

blue sky

Wild seas

Oh

My lost times 

Which do you like

tea or coffee

I like coffee 

Oh My wet dream

today I lost hot red  flower

white cloud and afternoon maps 

I like watching contrails in the sky


 

2022年10月24日月曜日

晩秋

 いい言葉だ

今日 白い雲がぽっかり

浮いていた

あたりは黄色で

麦やそばが終わり

枯れている風景の中を

車を走らせて

とうとう海に出た

海は蒼く

波は静かだった

昨日 久しぶりで友人に逢って

遅くまで飲んだ

心臓の手術をする友人は

いつ死んでもよいと

焼酎をぐいぐい飲んだ

今朝は寒かった

北海道では雪が降ったらしい

ロシアとウクライナ

国境を越えたと銃撃戦をやっている

朝鮮半島

ミャンマーも荒れて

世界は核爆弾を使う

戦争になるらしい

冗談じゃアない

暖かい鍋を囲んで

暖かい布団にくるまり

眠ろう

眠ろう

そして赤煉瓦の壁に

名も知らず咲いている

赤い花の名を

図書館で調べに行こう

晩秋なのだ

晩秋

そうだ

媚びないで

頭を下げないで

まっすぐ前を見て

歩いていこう

晩秋だから

2022年10月22日土曜日

ニンニクを植える

 石灰を撒いて2週間たって

とうとう今日はニンニクを植える

鶏糞や堆肥をすきこんで

指を入れて

その前にニンニクの

真白な球根をめりめりとはがして

植える

その前にマルチを敷いて

化成肥料をぱらぱら撒いて

できあがるのは来年の6月だそうだ

今夜は強風になって

マルチが飛ぶから石で押さえて

ともかくニンニクは机の上から

地中へと旅立った

近所の人が回覧板を持ってくる

プロ級ですね

にんにくが かい

いいえ玄関の つげの生垣ですよ

そうか

そうなのか

あかね雲がきれいな土曜日

だった


2022年10月19日水曜日

一夜明けて

外灯の電球を交換した

明るいLEDはすごく高価だった

夜が待ち遠しかったのだ

いよいよ暗闇が来て

パアッと辺りは白く

輝いてまぶしかった

ちょっと明るすぎないか

外した電球は廊下に

それは温かな色だが暗かった

廊下は もともと切れていた

暖かな電球で補充され

玄関の周りはお昼のように白く

廊下は元気がない

誕生日の翌日でありました

友人から電話があった

いよいよまっしぐらだな

どこへ向かって

誰にも媚びずに

良い詩を書こうと決めた

死んでしまう

死んでしまうと

何も残らないから



2022年10月18日火曜日

またもや誕生日を迎えて

 書架を掃除していたら 薄い詩集が出てきた

長谷川龍生詩集

 サインがあった

一晩 酒を飲んだ 夜中に

重巡「鳥海」のことで 

その夜

老詩人の脚をさすった 

冷たい脚だった 

舞鶴の駅の映像は 復員船が到着して 兵隊があふれ

そういえば父は 海軍工廠で  重巡「利根」の作業員

盥のような大きな船だと言っていた

飛行機を積むための改装だった 

父はハンサムだった 細く

今日は私の誕生日だ 

いろんなことを思い出しながら

生きている 

仕事をしているときには

振り返る余裕はないから 

過去の思い出は記憶の外に

置いてあった 

思い出に降る雨もある という

歌が好きだ 

千昌夫と吉幾三の「津軽平野」もいいな 

「長崎は今日も雨だった」 

 呼子の「おくんち」がはじまった

くじらのひょうきんさ

玄関の通路を少し修理する

あちこちで知っている人が

少しづつ亡くなっていく

寒い秋である