昭和34年に小浜公園に銅像ができた
私は小学2年生で
銅像を囲んで絵を描く
マントに短剣を下げた三方町北前川の海軍大尉
佐久間勉艇長という
岩国沖で潜水挺が浮上せず
死の直前まで克明な手記を残した
殉死 軍神と讃えられたが
それを理解するまで20年もかかった
記憶の中にある銅像は、青い服で青い顔
青色ばかりで変な絵になった
60数年前の写生大会
明治43年(1910)4月15日、第六潜水艇遭難、乗組員14人が殉職。佐久間勉 艇長32歳。福井県三方郡生まれ、海軍兵学校29期。ガソリン潜行実験の訓練中、午前10時45分頃、浸水発生、海底に着低した。翌日引き揚げられるが、乗組員はきちんと所定の配置で息絶えていた。佐久間艇長以下、最後まで任務を全うし、事故原因、乗組員遺族への配慮を求める遺書を残し、全世界を感動させた。遺書は漢字とカタカナで子供には難しい。漱石や与謝野晶子のこともいろいろとあるみたい。
「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠二申シ訳ナシ、・・されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、・・・・・遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり」「願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を・・・」「沈没の原因。ガソリン潜航の際、過度探入せしため、スルイスバルブを締めんとせしも、途中チエン切れ、よって手にて之を閉めたるも後れ、後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり」「沈据後の状況。一、傾斜約仰角十三度位 一、配電盤つかりたるため電灯消え、電纜燃え悪ガスを発生、呼吸に困難を感ぜり。十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ」
「一、沈下と共にメインタンクを排水せり。灯り消えゲージ見えざるども、メインタンクは排水し終われるものと認む」「電流は全く使用するにあたわず、電液は漏れるも少々、海水は入らず、クロリンガス発生せず、残気は五百ポンド位なり。ただただ頼むところは、手動ポンプあるのみ。ツリムは安全のためヨビ浮量六百、モーターの時は二百位とせり。右十一時四十五分、司令塔の灯りにて記す」「溢入の水に侵され、乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり。世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤まりなきを確信す」「一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは停止して動かず、この辺深度は十尋(ひろ)位なれば、正しきものならん 一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思ふ」「我れは常に家を出ずれば死を期す、されば遺言状は既に『カラサキ』引き出しの中にあり。(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ、之を愚父に致されよ)」「公遺言 謹んで陛下に申す。我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ。右の諸君によろしく。一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将」 「(気圧たかまり鼓膜破らるる如き感あり)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)一、船越大佐、一、成田綱太郎先生 一、生田小金次先生」「十二時三十分、呼吸非常に苦しい。ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソリンにようた。一、中野大佐 十二時四十分なり ……」
私は、こういう上司には、会わなかった。恐らく私も任務を全うするだろう。寒い秋空を鳥の大群がうねりながら激しく舞っている。「時代」というものを感じることができる脳みそに成長した私の脳みそに感謝している。私も小浜中学(若狭高校)だから。
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