2025年3月9日日曜日

今日は天気だ

 春が来た

昼は長くなった

春だ

きょうは三国の海岸に行った

三好達治の住んでた場所

また桜が咲くぞ


旅の終わりのかもめどり

浮きつつ遠く

なりにけるかも


赤い橋もあった

春はありがたいな





2025年3月7日金曜日

とうとう脱稿したぞ

 10年くらい前から書き溜めていた文章を

並べ直してこのほど終わりました

20万字ありますが、4万字削除しました。

しかし1月10日に、租田先生が伊賀市民病院で

急逝されました。好きな畑に行かれたのだと思います。

寒い日だったのでくも膜下出血で85才でした。

いろいろアドバイスしていただいたのに、残念でなりません。

京都大学の総長の澤田敏男、坂本慶一、常脇恒一郎、千田貢、

菱山泉、下谷政弘、井口省吾、徳岡善助、上田顕、みんな急いで

旅立って行かれて。

書き上げた原稿、今年は活字にしたいと、思っています。

まあそれで、祖田先生の喪に服していたわけです。

今年もよろしくお願いします。それから、大事な事ですが

この20年間に500ほど詩を作りました。それを今拡げて

虫干しをしています。悔いのないように、下手な詩が多いな。

つまり未熟だったのです。



2024年10月23日水曜日

詩碑の前で

 ずいぶん前から詩人広部英一の

「もくしゅく忌」に出席しようと

詩編を選んでスピーチの練習をしていた

2時間前になって 何もかも

投げ出したくなり

急に気分が悪くなり

それで欠席してしまった

それでも近くまで行ったのだが

しろつめ草と子供たちは読んでいた

あのレンゲソウのことを

もくしゅく というのだな

貰った詩集を何度も読み返していたら

ますます背中が寒くなって

それはこの詩集「 畝間 」が

死者との対話だったので

生前よく仕事で目の前に座っていた

眼鏡姿を思い出して

ぼくより20歳年長だった

生きていれば92歳だ

思い出すと いろんな過去が

嫌になった

死のことも

生のことも

それでひたすら我慢して

眠りこけていた

寒いようで暑い

変な日だった

まいった

死者は生者を惑わすなかれ

だったか



2024年10月18日金曜日

あれから

 正月に地震がきて

あのあと耐震設計の抽選に合格したが、

家の中をあちこち触られるのが嫌で

さあどうするか、悶々と過ごして

さあどうする、地震の来る前に寿命で死ぬという

こともなさけなや

老後である 先に死んだ連中も

みんな元気でいるか

親の援助で早く家を得たから

耐震設計が古かった君ら

助かったのだからもういいんじゃない、

迎えに来るのか

実は今日 私の生まれた日なのだ






2024年2月7日水曜日

昨日は

 町内のごみステーションの防犯灯と監視カメラ

電源と地主に電信柱を交渉して

上手くいきましたが雨に濡れて

まあ機嫌よく帰ってきて

今朝またもやギシギシと

震度4らしいけど

うちは震度2

つらいですね揺れるのは

自分の布団に眠れること

水があり風呂があること

しみじみありがたいものです

地震とは

ものすごい力で山や海を動かすものであります

松の木の1本でも

ぼくは動かせない

佐渡から山梨、長野、岐阜、富山、福井をギシギシと

動かす力とはどんな力

ですか

神様ですか

2024年1月21日日曜日

ようやく落ち着いてきて

 こういう文章も書けるようになりましたが

第2次「螺旋」も専念できるようになり

町内会も役を終わり

ごみステーションも設置できました

皆様今年もよろしく

お願いします

心臓がどきどきして

調子が悪いです

地震カミナリ火事

ですね

地震がきた

 怖いものだ

がたがたがたがた

しつこく揺れた

緊急警報が映画のように叫び

地震が来るという

まもなく本当にやってきた

能登はまことに悲惨なことになって


言葉がない

靴下をはいて枕元に着る物を置いて

寝たが 眠れない

揺れているのだ

ゆらゆらと

新潟から見舞いの電話が来た

友人が正月に風呂に入っていたそうな

シャンパンや赤ワインで

ふらふらしていたが

みるみる醒めた

自分の布団で眠れる

のは最高なんだと知らされる

正月は飛んでしまった