2017年6月29日木曜日

年甲斐もなく

いつまでたっても
若い気分で
昔と同じように
動いたら

なんとも くたびれた

こういうことか
年齢で 衰えるもの

まず みずみずしい 感情
親切な思いやり

ゆったりとした思考 結論
頭の中をショパンが流れない

足腰が痛い 弱る背骨
視線 聴力 噛む力 筋力 さわやかな笑顔 
柔軟な 言語

「バベットの晩餐」あの映画
思い出す

人生の入り口 僕はつい昨日
19歳だったのに
 

2017年6月27日火曜日

ひとのこころ

幼い頃に育てられた環境が
過酷であった  だから
世間に出てからの苦労は
あまり感じなかった 楽だった
かわいい子には旅だぜ
という人がいる

何気なくテレビを見ていたら
横浜の根岸の高級な魚屋さん

主人は朝3時に起き
4時に店に行く

仕込みを始めて
夜の8時に最初の食事

有名なすし店で修業したと
きっと厳しい しつけ だったろう

僕は 一流になれなかった 

さあこれからというときに
お腹がグーッとなるから

2017年6月25日日曜日

詩を書いて五十年になる

自分のこころに忠実に
しばらくは中断して

十年経った
いまから ひとつづつ

創り上げていこうと思う



作品1

雨の朝


ここまで書いていたら
地震が来て

ちょっと中止だ


 

2017年6月24日土曜日

旅人かへらず

西脇順三郎の詩集
「旅人かへらず」

旅に出たまま帰らない

不意に
逢いたくなる人がいる

現在の人には迷惑がかかるから

亡くなっている人に
心の中で逢う

ことが多い
北村太郎
西脇順三郎へ
やっぱり 
いちど戻ろうかな


幻影の人と女

 自分を分解してみると、自分の中には、理知の世界、情念の世界、感覺の世界、肉體の世界がある。これ等は大體理知の世界と自然の世界の二つに分けられる。
 次に自分の中に種々の人間がひそんでゐる。先づ近代人と原始人がゐる。前者は近代の科學哲學宗教文藝によつて表現されてゐる。また後者は原始文化研究、原始人の心理研究、民俗學等に表現されてゐる。
 ところが自分の中にもう一人の人間がひそむ。これは生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決の出來ない割り切れない人間がゐる。
 これを自分は「幻影の人」と呼びまた永劫の旅人とも考へる。
 この「幻影の人」以前の人間の奇蹟的に殘つてゐる追憶であらう。永劫の世界により近い人間の思ひ出であらう。
 永劫といふ言葉を使ふ自分の意味は、從來の如く無とか消滅に反對する憧憬でなく、寧ろ必然的に無とか消滅を認める永遠の思念を意味する。
 路ばたに結ぶ草の實に無限な思ひ出の如きものを感じさせるものは、自分の中にひそむこの「幻影の人」のしわざと思はれる。
 次に自分の中にある自然界の方面では女と男の人間がゐる。自然界としての人間の存在の目的は人間の種の存續である。隨つてめしべは女であり、種を育てる果實も女であるから、この意味で人間の自然界では女が中心であるべきである。男は單にをしべであり、蜂であり、戀風にすぎない。この意味での女は「幻影の人」に男より近い關係を示してゐる。
 これ等の説は「超人」や「女の機關説」に正反對なものとなる。
 この詩集はさうした「幻影の人」、さうした女の立場から集めた生命の記録である。



「旅人かへらず」

1

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水靈にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の斷崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに來る
浮雲の影に水草ののびる頃


10


十二月の末頃
落葉の林にさまよふ
枯れ枝には既にいろいろの形や色どりの
葉の蕾が出てゐる
これは都の人の知らないもの
枯木にからむつる草に
億萬年の思ひが結ぶ
數知れぬ實がなつてゐる
人の生命より古い種子が埋もれてゐる
人の感じ得る最大な美しさ
淋しさがこの小さい實の中に
うるみひそむ
かすかにふるへてゐる
このふるへてゐる詩が
本當の詩であるか
この實こそ詩であらう
王城にひばり鳴く物語も詩でない


97


風は庭をめぐり
黄色いまがつた梨を
ゆすり
小さい窓からはいつて
燈火を消すことがあつた


102


草の實の
ころがる
水たまりに
うつる
枯れ莖のまがり
淋しき人の去る


117

雨の降る天をみながら
千一夜物語はあの
「海の男」がすきだ
何か急に立ちとどまり
また考へ出した
それから橋を渡つて町へ行つた
そこは夏が来ていた




129

むらさき水晶
戀情の化石か


145

村の狂人まるはだかで
女郎花と蟋蟀をほほばる


147

庭の隅(すみ)人知れず
岩のほろほろと
こぼれる
秋の日
牧谿の横物をかけ
野花の一輪を活け
靜かに待つ
待つ人の來たらず
水草の莖長き水鏡
女のこころうつる
男は女の影にすぎない
土は永遠を夢みる
人はその上に一時(ひととき)のびる
旅のつる草
莖に夕陽の殘るのみ
草の實は女のこころ
心のかげりは
野邊のかげり



158

旅から旅へもどる
土から土へもどる
この壷をこはせば
永劫のかけらとなる
旅は流れ去る
手を出してくまんとすれば
泡となり夢となる
夢に濡れるこの笠の中に
秋の日のもれる



168

永劫の根に觸れ
心の鶉の鳴く
野ばらの亂れ咲く野末
砧の音する村
樵路の横ぎる里
白壁のくづるる町を過ぎ
路傍の寺に立寄り
曼陀羅の織物を拜み
枯れ枝の山のくづれを越え
水莖の長く映る渡しをわたり
草の實のさがる藪を通り
幻影の人は去る
永劫の旅人は歸らず














2017年6月22日木曜日

なんだか

つまらねえ
真面目にやっているのにさ

わるい奴らのほうが おもしろそう
なんてことだ と思う一日

いやいや まてまて そうではない
ようするに ひとと ひとと の 関わりあい

別の方法を 探して
そういうやり方もある そう信じて
 
アクセルを踏んだ
コロナはびゅんびゅん 走る
 
18万キロも 故障せずに
えらいものだな

2017年6月21日水曜日

将棋の天才

コンピュータ将棋で鍛えた
人工頭脳なら
普通の人間は勝てない 

たとえば 大型トラックは 人よりも
たくさん砂利を運ぶ
タンカーは 大量の原油を運ぶ
人間は勝てない

たくさん記憶し 最善の手を選択する
今は強いけれど 年齢で確実に衰える

それに トラックもタンカーも
恋を知らない
別れの涙も さみしさも 

私は 人間でありたい
ガムテープのように あちこち
くっついて いたい


将棋の加藤九段引退

ニュージーランドのことわざだったか

古い網は捨てられ
新しい網に 魚は集められる

若いころに神童
加藤一二三も引退した

しかしそれ以上に
人間的に素晴らしい

舛田、大山、坂田三吉 みんなすごい
加藤のすごさは銀のしぶさ
桂馬の加藤

だが敬虔なクリスチャン
大学くらい平気で中退

長生きして ほしい

2017年6月20日火曜日

町内のゴミ置き場

きれいに掃除がされている
たいしたものだ

日本は素晴らしい
外国は知らない けど

山ほどのゴミを集めて 運んだ後に
掃除をすることについて

喜んでする人
いやいや する人
仕方ないと 割り切ってする人

どれかなら
喜んですることを選びたい

ものです

2017年6月19日月曜日

近所の子供たちが

叫んでいる
今日はプールの日だった

きゃあきゃあ言っている
走り出して
中には
しっかりした担任の先生のような
これからも このお庭に
ちょくちょく入っても
いいですか

新一年生の女の子が
二年生になった隣の家の
男の子を命令して子分にしている

来てもいいけど夏になると
怖いのが出るかもしれないよ
そういうと
化け物屋敷だぜ ここは
まあいいよ 夏には三国の

おばあちゃんちへ行くから
お母さんが子供を産むの

私もついていく
おばあちゃんちはトマトと
トウモロコシがあるの
ばいばい

消えていった 風のように だ

2017年6月18日日曜日

草むしり

趣味は
草むしりだと答える

しゃがんで
いろんなことを想う

妄想ではなく
あの時はこうすれば良かった
いやそうではない

横須賀の広い道
屋根のない黒い外車
8人の海兵隊

よこ縞のシャツを
振りながら暴走する

青信号を渡らずに
見ている市民

そういう思い出を頭に 草をむしる
すると小さなてんとう虫が歩いている

きれいな模様だ

2017年6月16日金曜日

ツバメが巣を

作ったのに
親が死んで 卵もどこかに消えて
空っぽの巣

ツバメは帰ってくるのか
ほとんど無理だろう
ある人が言った
雀が利用しますよ

さまざまな過去の思い出
楽しかったこと
甘酸っぱいこと
脳髄に記憶され  発酵して

不意に 人生を豊かにしてくれる
これを研究した学者がいる

心にしまっておく のではなく脳髄に
神経脳細胞的に

私の初恋も
細胞が大切に温存している
かもしれない

2017年6月15日木曜日

寒い日と暑い日

寒い日が交互にやってくる
梅雨に入っても
雨は少ないから
からつゆ

赤い自転車の友人は 応用化学を専攻した
中学では軟式テニスの選手
長身で ネットの真ん中が少し低いから
そこを狙ってサーブが来る

球が楕円になって
斜めに滑り込んでくる
いつも勝てない

待てよ私は 剣道部だったのに
なぜ勝手にテニスをしたのだろう
そもそも文芸部だった

軽井沢のテニスコートの恋みたいな
初恋は 卓球部の人だった

困ったものだ 歳を取ると
記憶が錯綜する
認知が始まったのか

2017年6月2日金曜日

花を

古い友人が
赤い自転車に乗って

自ら育てた
花をかごに入れて

やってきた
爽やかな日
畑の話などで
ビールを飲んだ

古い友人は
僕のいろんなことを知っている

昔は一緒に旅をした
岩手の大学にいたから

やまびこという列車に乗って
訪ねて行ったこともあった

中学以来で 55年になる