2015年7月25日土曜日

ごぶさた

ちょっと行事で
てんてこまいで
 
それと暑いので
パソコンの位置を移動したり


入力の環境を変えていますので
ブログ更新をちょっと怠っています




皆様暑い夏を乗り切ってくださいますように


またお会いしましょう

2015年7月19日日曜日

行きも帰りも

チョット横浜まで
朝の5時出発
台風で京都東から吹田は東名高速
通行止め

米原あたりの雨のすごいこと
おまけに
トンネルの中でトラックが壁面に衝突
アルミ資材が散乱して渋滞
8時間かかった

帰りは天気も良く
路面も乾き
ものすごい渋滞
連休だから
まず横浜から御殿場までえんえん

次に浜松あたり10キロの渋滞
名古屋で10キロ

12時に横浜を出て
着いたのは10時半
つまり10時間30分も
車の運転

なかなか体力ありますね

2015年7月17日金曜日

雨風

大きな台風が
なかなか過ぎず

こうなったら舟を借りて
風流な駅へでも

風景おお  先祖参りの若葉

いや とっくの昔に
しゃんとした自分は消えて

孫に渡す紋付、羽織、はかま
日本で一番保守的な白足袋

わたしの家紋は
マルに立ちおもだか

2015年7月16日木曜日

あんまり暑くて

眠ったと思ったら
まだ12時だった

深夜にオートバイのサーカスのような
爆音がして

3台が集結している
思わず窓によってカーテンを開けた
3人オートバイ
これから道路へ繰り出そうという瞬間

しかしそれにしても
この爆音は私の頃のバリバリとちょっと違う
スピーカでも積んでいるのか

異常だ
起きてしまった
これ、自宅で闘病中の癇癪持ち老人が聞いたら
切れるだろう

まもなく出発だ
すると遠方からの数台も合流する

ばばばばばばばん

それからしばらく
からふかし
頼むから寝させてくれよ暑いんだからさ

明日はひまなのか

仕事は休みなのか

芥川賞

もう少し足りない
今度に期待だ

何度も言われて
島田雅彦は
もらえんかった

芥川賞
太宰がほしがった
駄目だった

作者最近変な雰囲気あり
みたいなこと言われて

しかし村上龍まではまあまあ
直木賞は
青島だあ とか
たしか中山千夏は3度候補になって

司馬遼太郎やら五木寛之やら

話は芥川賞に戻るとして
世間の話題をさらう

その割には
小説を売ることで

値打ちが下がってしまった
もう誰も
振り向かないのだ


2015年7月14日火曜日

何も心配

いらない

チョット不安なことがあって
どうしようか
悩んでいたが

悩んでいるのは私だけでなくて
次々と現れて
座って相談していると

急にいいアイデアも閃いて
いい方に良い方向に
ものごとが進んでいく
ことがあった

いやあ久々に
物事が解決して

しかもみんなが納得して
おおむね満足

ということは
やはり心配はいらない
みんなで考えれば
おのずと道は開くという
ことか

納得納得の日でした

納得

2015年7月13日月曜日

博学の

今日は老教授に逢って
博学とはこういう人のことを言うのか
思い知らされた

84歳の記憶は縦横無尽
戦前、戦中、戦後に現代まで

国際関係から人間関係まで
手回し計算機から電子計算機
ニューデール政策からインパール作戦の
グルカ兵まで

知らないことはない
もっとすごいことに
それらは私の質問に即して
次々と開陳された

東畑精一も三島由紀夫も
ハーバート・ノーマンも
ワーグナーも
若いころは
カブトムシに乗っていた

2015年7月12日日曜日

おおい

朝4時に起きて
草むしり
調子が出て7時まで

ちょっと腰が
きくりと痛む
あれれ
また腰痛が出たかな

そこで作業を止めて
7時から始まる町内大清掃に参加
少し痛いが
けっこう変なごみを拾った
周りの人とも旧交を温める
そういう感じでなかなかよい日曜日

いったん解散して朝飯食って
バットマン観て
11時に車の外気温をみた38度
38度だ
正午のニュースで全国5位

暑い
お湯が流れるような
暑い日で
誰も道路にいない

二人熱中症で亡くなられて
こちらもふらふら

2015年7月11日土曜日

暑い暑い

今日11時に34度あった
車は24度に設定して
外が10度高いことになる


中央郵便局へ行く
涼しい
外へ出ると
またむっとする


車は焼ける
暑い暑い


どうしましょうか
僕の子供のころは
30度を超える日は
8月の盆の終わりに
2~3回あったくらいなのに

2015年7月10日金曜日

変なの

私のブログには
70人から100人の読者が
来訪されたり

一人もない日があって
これは私が悪いのか
そうかもしれんけど



しかし何か

突然
エラーとか言われて
変な感じがする



誰かが何かしとるんじゃ



さみしいやつら
学校で教わったやろ
何を勉強してきたの


あかんで
あかんあかん

もっと人生を大事に
個の独立を図って


頑張らないと

サルトルの実存
人はまず十分に文化の恵みを受けて

それから車を改造して暴走すればよい



つまりもっともっと生に
執着して

がんばりましょうよ

2015年7月8日水曜日

困っている人を

困っている人を見たら
助けてあげる
ことにしている

たとえば
今日中にポスターを50枚
あちこちに貼りまくる仕事の人には
自分の持ち分の壁には
できるだけ貼らせてあげる

困っている人
駅まで行きたいが
バスもないし車もないので
困っている人

駅まで乗せてあげる
というかんじだ

それでその人が喜ぶ
それでよいのだが
喜ばない
お礼も言わない
そういうことになっては
腹立たしく自分が困ってしまう

そうなりたくないから
困っているのは自分なのだと
思っている

2015年7月6日月曜日

思い出す

お昼休みに
包装紙を取り出して
これまでに
わたしに影響を与えた
人の名を書いた
すでに他界した人は
〇で囲んで

両親、祖父母、伯父・叔母、従姉妹たち
先生、小・中・高・大の友人
小中高は細くて白い
胃の悪い友人たち

職場の上司や先輩たちは、
がん

それにしても
多くの人たちが亡くなっている

若い日の私もゆっくりと
巻き込まれそうになる

皆 いなくなってしまった
しかしまだまだ

生きざまが中途半端だから
健康で頑張りたい
と願っている


2015年7月5日日曜日

梅と昆布と

めでたいことがあったので
昆布を買いに行く
いろんな昆布がある
細目、おぼろ、角切り

詰合わせて熨斗かけて
それにしても日曜の街の静けさよ

足を延ばして湖まで行く
そこは梅の産地いろんな梅がある
いろいろ買った
もみ紫蘇も買った

文化というか伝統かな
また昆布の街に戻る
この街は昔ヨーロッパの玄関だった
その時の名前のついた洋食店に行く

帰宅する
それからジャガイモを処理した
草むしり

近所の子供の遊ぶ声に
おもわずつぶやく
ああよかった
やく40年前この地に来たとき
子どもの声がしなかった
けれど今は若い夫婦が増えて
子どもたちがはしゃぎ廻る
その子たちの親が
もう晩御飯だから 帰ってきなさい
叫んでいる

そうか もうそんな時間か
軍手を外して鎌をしまって
風呂に入る

明日やること山ほどある

2015年7月4日土曜日

蒸し暑い

日本の梅雨は蒸し暑い
しかしこの湿気が
美味いコメを生むのだと

社会科の先生が言った
確かに
水がないとコメはできぬ

最近北海道のコメが人気がある
美味しい
いやあ
それは現代人の嗜好が
あっさりとつまり
もちもちしていない

さっぱりしたものが好まれるのでは
ないでしょうか

コシヒカリの生みの親としては
そう思う
石墨慶一郎博士
ではないでしょうか

2015年7月3日金曜日

7月だ

私が学生の頃
夏休みは7月1日からで

京都まで新幹線に乗って
駅からバスに乗って大丸へ行って

人が多くて
京極で映画を観て

すぐに大阪に行って
万博だった

京都がいいなと思って
すぐに帰って

18歳だった

2015年7月2日木曜日

本に囲まれて

あたりをみると
本だらけで
どの本にも
著者がいて

主張する
自分の意見や主義
思想
芸術に対する
自分の考え
ものの見かた

不意に恐ろしくなる
これだけ多くの人が
短い人生に
これほど文字を使って
誰かに訴えたい

何かを伝えたい
この世に生まれて
声を高く上げて

言いたい
叫んでいる
なぜなのか
つまりそれは
存在の証明なのか
それとも

それとも生きていくための
ひとつの主張なのだろうか

2015年7月1日水曜日

料亭

そりゃあ
いろいろ
いきました

こけむした庭
白壁のそばに南天がひっそり
そうそう

白磁の壺やら掛け軸
鱧の吸いもん

おお いえ あああ
oh yeh ah

じつは益子のいい壺を
分けてもらって
えへへえへへ

いつまでそういうことばかり
言い続けて
くだらん

そうおもいませんか