2013年12月31日火曜日

賀正

ちょっと早めに

元日も二日も暮れてしまひけり(正岡子規)

いつも正月は夕方がさみしかった
みんなそうではないのかと思っていた
正岡子規がちゃんと詠んでいた

今年、初めてそば粉を買って
年越しそばを自分で作った

正月といっても嬉しいわけではない
いつも除夜の鐘とともに
過ぎた断片を思い出している

「おめでとうございます。今年もよろしく」

大晦日

いよいよ大晦日
子どものころは
大きな味噌のイメージで いやだった
その点 クリスマスのほうは洋館
窓からサンタがきてロマンチックだった
サンタは寒くないのか
そういう種類の心配もしなかった

僕の生まれた家の前に大きな洋館があった
カリフォルニアで働いた人だった
その窓にサンタが入ってくる
信じていた

最近 サンタは会社に勤めているのかな と思う
定年になって引退しても
次の社員が販売する富山の薬売り
そうやって永遠にサンタは来るのだ


2013年12月29日日曜日

嗚呼 今年も

しごとが済んで歳末になり
正月を迎えるはずだったのに
タイヤを入れ替えたときに
ちょっと痛かったぎっくり腰

水曜日に仕事で千葉へ出かけて
満員の新幹線
総武線に乗るためにどんどん
歩いてちょっと痛かった

帰ってきて起きたら歩けなくなって
これは3週間前にあの重い
外国の書籍を何十箱も運んで
弱っていたのかな
私の弱腰

2013年12月22日日曜日

寒いのに

長男がスノータイヤに
入れ替えるために

やってきて
こちらも体がうずうずして

みるみる入れ替えて
空気も入れて

年賀状
プリンターが
うまくいかず
赤の染料が詰まって
頭きた

外してドライバーでクリーニング
アルコールでヘッドを拭いて

それでもうまくいかず
昔の古いプリンターをセットして

まあ今年も年賀状をつくりました

2013年12月20日金曜日

とうとう

雪が降ってきた

今年もいろんなことがあった
さみしいことや悲しいこと

腹の底から笑ったこと
悩む人の

こまったこと
たとえば便秘

どうすれば楽に出るか
どうすればどんどん出るか

富山のオオガキさんから
展覧会の作品をいただいた

それは恥ずかしい
自分の詩だった

2013年12月15日日曜日

そば打ちを教わる

午後6時から越前そばの
そば粉をふるいにかけ
つなぎの粉を混ぜて

始まる
そば打ち

まずは水まわし
こね鉢の中で大きな円を描いて
とにかく回す回す
なんだかつらい

だんだんと色が変わってきて
外はあられが降っているのに
汗が出てきた

次はこねる
ねじるように体で押す
まるくまるく
円錐を作って
最後はぐっと押して伸ばして

雪が降っている
今度は
のしである

のし棒で何度も何度も
伸ばす

今度は たたむ
それを切る

帰ってお湯を沸かして
ゆでる 冷やす 食べる

食べ終わったのは11時過ぎ
まさに お疲れ様

2013年12月12日木曜日

けんみんの

みんなあちこちの
生まれ で

それぞれに
暮らしている のだ
食べやすいものを
食べて

おいしいものをいただいて
名物を なべつかみで
つかんで

おいしいものを食べて
鍋焼き
ラーメン

ああ すばらしき この地球

2013年12月9日月曜日

ダイコンをもらって

ダイコンをもらいました
車に積んで帰りました

おいしい白い
雪のような

そうだ今度
新潟の「古町」へ行って
有名な居酒屋で
「のど黒」「牛すじ」
「刺身の盛り合わせ」
「タコのあぶり串」

冷酒を飲みながら
店主と話したいと

軽自動車税が上がるなんて
高速道路が値引きなしになるなんて
あまりいい話はない
ですね

2013年12月7日土曜日

リプニツカヤのスケート

リプニツカヤというロシアの選手が
スケートの演技で

「シンドラーのリスト」
の曲を使って

あのナチスの
ホロコーストをイメージして

私は涙腺が弱って
スケートどころではなく

戦艦大和の映画もあり
奇妙な土曜日を過ごした

どうするのじゃ
紀元は2600年でしたっけ

ケヤキの葉が 3

大きな葉っぱと
小ぶりの葉っぱとがあって

老人が言うには
小さなケヤキの葉っぱが
良い土になる

人差し指と親指で
マルを描く
大きさの葉

アメリカ・フウ
カエデなどはよくないらしい

木之本の鶏足寺のモミジは
ものすごい

しかし腐葉土には
適さないということか

2013年12月6日金曜日

ケヤキの葉が 2

ケヤキの葉を拾っている
腐葉土にするために

積んで積んで
畑がケヤキの香りに覆われる
雨に濡れて重い落ち葉
袋に詰める日を
毎日待っていた
すると午後1時に
轟々とトラックが来たのだ
10人のエプロン連合軍を従えて

エプロンの群はいっせいに葉っぱを集めて
持ち帰った
隠しておいた落ち葉だけは残った

あわてて袋に詰めた
あんなにたくさんの葉っぱが落ちていたのに
たった1袋しかもらえない
人生は
そういうものかもしれない

2013年12月4日水曜日

ケヤキの葉が 1

ほとんど落ちて
舗装は黄色く染まっている

小さな葉の木の下には小さな葉が
大きな葉の木の下には大きな葉が

ある朝 天空から ぱらりと落ちて
夜には 地上で眠りについて

お互い土に還ろうと
約束に身を寄せ合っていると

隣のどんぐりさんもやってきて
鳩も隣りのじじいもカラスもやって来た

エグザイルが来た
中条きよしは来ない
郷ひろみも来た

欧陽フイフイが来た

2013年12月3日火曜日

新潟の夜

佐渡と天の川

越前 越中 越後

上越 中越 下越

どこさ 加茂さね

新潟は大きな川と日本海に囲まれて

越後獅子が跳ぶ米どころ

酒どころ雪の街

古町の夜

2013年12月2日月曜日

仕事を頑張りすぎて

心を壊してしまった人
体を壊してしまった人

世の中には 仕事を適当にして
心を守っている人がいる

仕事をせせら笑って
体を守っている人もいる

しかし私は 一生懸命やる人が好きだ
私は やりすぎて倒れる人が好きだ

ですから神様
どうか頑張った人には
穏やかに過ごせる老後を与えてください

仮にも 何気なく命を召し上げる
なんてことはなさらぬよう

2013年11月30日土曜日

くもり のち くもり

土曜の朝だ
この時刻に職場の若い課長が亡くなったのだ

あれからもう
一週間たつことになる

ショパンの夜想曲を聴いていた
アシュケナージュの

ノクターン

私が死んだら
この曲をかけてほしい

だが、意味の分からない
お経で
混乱のうちに送られる
ことも大事なことかもしれない

2013年11月29日金曜日

あられがパラパラ舞って

あられが舞って
すぐに みぞれになり
もうすぐ11月は終わる

生きていれば100歳の父はいつも
わしゃあ 上原謙に似ている
村の女性グループに小学校の
校庭で言われ
自慢だった
そういうことを思い出した朝だった
まあ いい男だった
鼻筋などは ね

そうなると私は加山雄三になるだ

また雪が降る
冬が忘れずやってくる
やつらは 気まぐれに
そして まじめにやってくる

2013年11月27日水曜日

スポーツマンの心臓は

スポーツマンの心臓は
鍛えられているから
心臓には毛が生えていると思う

キリンは血圧が高いらしい
首が長く
頭が高いから
そこまで血液を運ぶには
心臓に相当負担がかかる
とテレビで見た

あなたも背が高いけど
バレーで鍛えてあるから

木曜日にそういう会話を交わした

かれは土曜の朝に亡くなったのだ

2013年11月25日月曜日

風の強い日の別れ

木曜日に笑っていた
十歳若い職員
土曜の朝に
亡くなってしまって

困った
さみしい
とにかく
心筋梗塞だというが

どうしていいかわからない

残った子供たちは
飛び跳ねていたが

何とも悲しい
どうすればよいか

通夜と葬儀を終えて
風が やたら ふき抜ける

2013年11月22日金曜日

ボジョレーヌーボー

秋の終わりに赤ワインが
飛行機でやってきて
日本の人たちは
ボジョレ
ボジョレと
叫ぶ

ヌーボーぬーぼ
若いころフランス映画で
ヌーベルバークだったか

ヌーボロマン
だったか

新しいという
意味だった

新鮮なボジョレー
好むのは日本人だけという
人もいて

京都で
美味しい料理に去年の
ボジョレーが出て
寝かせれば
うまいものだと
知った

2013年11月20日水曜日

長浜の鴨 幻想編

うまいものの代表といえば
長浜の鴨

琵琶湖のそばを通りながら
なるほどと思った

湖面は鴨だらけ

その鴨がおそらく
京都の九条ネギを背負い

亀甲マンか
ヤマサか
ヒゲタか
いずれにせよ
甘口のしょうゆを
頭にふりかけながら

我も我もと
大きな鍋を背負って
押し寄せてくる

あぶない
鴨とり権兵衛さんが
隠れているぞ

琵琶湖の日曜日の
夕暮れである

2013年11月10日日曜日

秋雨たとえば

雨宿り
雨傘
雨靴

あまやどり
あまがさ
あまぐつ

雨降り
大雨
長雨
あめふり
おおあめ
ながあめ

秋雨
氷雨
あきさめ
ひさめ

梅雨
驟雨

ばいう
しゅうう

時雨
しぐれ

2013年11月9日土曜日

落ち葉の秋に

ケヤキの落ち葉を
熊手で集めて

庭の隅に積んで
来年の土を作る

ケヤキの匂いが
土に染まる
あたりは材木置場のよう

ぬかを入れて
草を入れる

セージ
ローズマリ
ミント
伸びすぎたハーブを刈って
混ぜると
不思議な匂い
さらさらの黒い土ができる

春になれば畑に入れる
秋の終わりは
鶏ふんを混ぜて
きんもくせいくんに
ごちそうする

2013年11月7日木曜日

秋が深まっていく

秋が
落ち葉の秋が

深く
冬に向かっている

私はそろそろ
ソバ打ち
はじめようと思う

こねて
切って
湯掻いて

食べる
だいこんと
昆布
かつおぶし

歯に優しい
ああ あの おそば

打ってみようと思う
貴族的ではなく

飢えをしのぐ食として

2013年11月3日日曜日

白山比咩神社に行く

今日は明治節
明治天皇のお誕生日
だから
良い天気で
石川県白山市の白山神社の総本山
白山比咩神社に行く

祭神
白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)
菊理媛尊(くくりひめのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)

神紋は
「三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)」
六角の亀甲の形を七五三に配した三つ子持ち
三条の構えの中に瓜の花

良縁
めでたい亀
子持ちというところ
ですね


七・五・三の集団にも会いました
紋付羽織の子供たち
まあ保守的でしたが

立ち寄った田んぼの中の喫茶店
大工集団でケヤキを駆使して
好い雰囲気を醸している
机上にエッセーが1冊置いてあり
上品な文章で引き込まれた
こういう人が教養のある人だろうと
帰り際に「ありがとうございました」と
主人がはっきり言った
はっきり聞こえたのに
僕は返事ができなかった

青葉茂れる桜井の
杉野はいずこ
文化の日でしたが
いろいろと考えさせられる日でした




2013年10月31日木曜日

ジェノベージェ

またもや
食い物のことだ

畑からバジルをかごいっぱい摘んで
松の実を買って にんにく 塩少々
オリーブオイルをかけて
ミキサーにかけて

バジルソースを作った
それを袋に入れて
冷凍して

板チョコみたいな物を作った

それを1週間後に
パキンと割って

ゆでたスパに混ぜて
溶けて

なかなかの
ジェノベージェ
だったぜい
贅のベーゼと思ったのは
妄想だったか
もう そうだった

2013年10月30日水曜日

Don’t let me down

私たちは高校生だったから
YOKOにちょっと とまどっていた
有名な財閥のお嬢さんで
学習院を出て哲学にくわしい
というのだ

Don’t let me down, don’t let me down
がっかりさせないで
Don’t let me down, don’t let me down        
がっかりさせないで
Nobody ever loved me like she does        
Oo she does, yeh, she does
あの娘ほど愛してくれた人はいない
あの娘ほど
And if somebody loved me like she do me 
oo, she do me, yes, she does    
もし誰かがあの娘のように
僕を愛してくれるなら

Don’t let me down, don’t let me down   
Don’t let me down, don’t let me down  
I’m in love for the first time
初めての恋           
Don’t you know it’s gonna last
この気持ちがいつまでも続く君は知らない
It’s a love that lasts forever
It’s a love that had no past       
永遠の愛 
過去のない愛

Don’t let me down, don’t let me down        
Don’t let me down, don’t let me down      
And from the first time that she really done me 
oo, she done me, she done me good  
最初から、良くしてくれている   
I guess nobody ever really done me
これまで誰もそうしてくれなかった          
oo, she done me, she done me good          
Don’t let me down, don’t let me down       
Don’t let me down, don’t let me down    

2013年10月29日火曜日

秋がきて

今朝のテレビは
雲の説明をしていた

わたぐも
すじ雲
巻き雲

雲の厚さで
気候がわかる

雲は地球の水蒸気

富山の大垣景雪さんが
雲という詩をしたためて

立派な額に入れて
届けてくださった

玄関に飾っている

2013年10月27日日曜日

村上一郎

東国の人びと

村上一郎著作集 国文社

日曜に、書棚から村上一郎の著作集をとりだした。
戊辰戦争で、米沢藩が謙信の旗をひるがえし
鶴ヶ城を攻めた。かつては奥羽列藩同盟の仲間だった。
会津は保科の教育を受けていた。

村上一郎は一橋を出て紀伊国屋書店で働き自刃した
当時は、桶谷秀昭や吉本隆明がはやっていた
桶谷教授は文学の担当で
「歐外」「それから以降の漱石」という、宿題を出した
それは私に多大な影響を与えた

「それから」、「門」、「こころ」
18歳の未熟な私には、もったいなかった。

東京で最高の授業を聞いた
40年間漱石のエゴに悩まされた

村上一郎が自刃した理由を
知りなさい

2013年10月25日金曜日

when I'm 64

When I’m64
1967年の「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録
されている。ポールの父親のジェームズが1966年に64歳になったそうだ。
英語がわからなくても、ホエン・ナイム・シクスティ・フォー
というくだりが好きだ。


A Day In The Life  
1967年の「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録
されている。 
ア・デイ・イン・ザ・ライフの詩に引き込まれた。
今日新聞を読んだ
ラッキーな男がいて

ランカシャーのブラックバーンに
4000も穴が開いていて舗装するという記事
始めは宇宙のブラックバーンだと思ったが地名だった

イギリス陸軍がどのようにして「戦争に勝ったか」。
I’d love to turn you onの意味が分からない


スクールバスにのる
タバコを吸いながら
ベッドから起きて髪をとかし
たばこを吸って
バスの2階に乗って

とかなんとか

I read the news today oh boy
About a lucky man who made the grate
And though the news was rather sad 
Well I just had to laugh 
I saw the photograph

今日 新聞を読んだ
ラッキーな男がいたが
悲しいニュースだった
笑うしかなかった
僕は写真を見た


I saw a film today oh boy
The English Army had just won the war
A crowd of  people turned away
But I just had the look
Having read the book
I’d love to turn you on

今日 映画を見た 
英国軍が戦争に勝った映画
大勢の人は横を向いていたが
僕はこんな顔をしていた
その本 読んだことがある
あなたを繰り返し愛したい



そういう感じだった
なによりも
そういう詩の形が好きだった


2013年10月24日木曜日

あくろす ジ ユニバース

「アクロス・ザ・ユニヴァース」は、ジョン・レノンの作。歌詞が好きです。
words are flowing out like endless rain into a paper cup
Jai Guru Deva Om は「我らが導師、神に勝利あれ」

 学生のころ、同人雑誌は「紙コップ」と命名したかった。
なにしろ言葉はとめどなく流れる紙コップに と翻訳したわっしの能力。
1967~68年の初め頃に完成され,歌詞 "Nothing gonna change my world."
は好きだった。池袋を歩きながら、ナッシング ごんな チェインジ マイ
ワールド。ナンテ ヨッパラッテ。  

2013年10月23日水曜日

湯煙夏原

伊丹十三が
湯煙夏原ハウンドッグ
のことについて
書いていた本は

「男たちよ」だったか

ガレージはギャラージュ
ジャガーは
ジャギュア

スピード・メータは
スピド・オミタ

だったか

2013年10月22日火曜日

ロッド・スチュワート

アイアム セーリング
あくろす ザ ウォーター

30年前に
ロッド・スチュワートが
アイアム セーリング
を歌って

この歌が好きだった

アイアム セーリング
アイアム セーリング

私は航海中です

航海中です
いい言葉

まさに航海中
だったので


2013年10月20日日曜日

鶏ふんを ほどこす

きんもくせいの花が
今年はものすごく激しく咲いて
しかし3日ほどで風に吹かれて散ってしまった

しかし今年は数年前から腐葉土を中心に
堆肥を作ってあるから
これに鶏ふんを混ぜて

根元に入れた
これを
「お礼肥え」というらしい

「お礼が過ぎ」て
根が焼きつくこともあるそうで
そういう気分の多い私は

少し雨が降ると 薄まるからいいかも しれない
そういうことを想像しながら眠った

朝には しっぽりと細い雨
肥料の焼け は防止された
のではないか

安心の
日曜の朝でありました

2013年10月19日土曜日

寒い

伊豆の大島は大変な被害
火山灰の地滑り
恐ろしいことだ

雨の降り方が変わった
数年前から
ごうごうと降る

かみなりは昔は
雷様であったが
今はガラガラと
うるさいだけだ

尊敬できない

秋が急速にやってきた
寒い秋だ

2013年10月6日日曜日

歯医者に行く

ヒューンと言うドリルの
回転音と
消毒液の酸っぱい臭い

歯医者はいやだな
でも

ハイ
アーンしてといわれれば
保険証出して受付して
週刊誌2冊読んで

はるばる出てきたので
仕方ないか

シュッと何か薬品をかける
ヒューンというドリルの音

ああ
私の歯が削られる
これ以上は嫌だ

ピクッと身体が嫌がる
3か所虫歯があったそうだ

そこに何か詰め物をする
綿をかませて
何か光を当てて固まらせて
ピーというまで待っている

ハイおしまい
良かったら半年後にでも
お掃除にいらっしゃい

ほんとによい医者だ

2013年10月5日土曜日

驚いたことシリーズ④

驚いたこと④
 最近、頭をカラスに蹴られた人がいる。近くに巣があり、攻撃的になるらしい。私も激しい威嚇を受けた。
 鳥類憐れみの令があるから、弓矢や光線銃などで報復はできない。畑に金色のテープを張り、麦藁帽子に針金を植え、自己防衛した。朝からぎゃあぎゃあ騒ぐ、たのむから静かにして欲しい。
 我々は金や名誉、おいしいものには関心を持つが、さすがにカラスは食べない。職場で「おいしい魚を食べる会」をつくり、民宿へ行ったことがある。上司が魚釣りの極意を披露する。まず自分を石と思え、動いてはならぬ。あいつらは目が良い、ちゃんと見ている。絶対に音を立ててはならぬ。夕食には「船盛り」が出た。大皿に動いているイカ。
 今にも皿から這い出すようだ。エビやヒラメの中央に大きな「ヒラマサ」の活き造り。青く大きな頭。「ブリ」と「ヒラマサ」の違いを、またも上司は解説した。私は乾杯の準備をしていた。上司は、徳利から熱い酒をヒラマサの口に注いでいる。「これが一番喜ぶ」
そして、人差し指を魚の口に近づけた。「ほれほれ」その時、ヒラマサがちらりと視線を動かしたように思った。瞬間ばくっという重い音がした。ヒラマサが上司の指にかぶ りついた。上司は魚の頭を持って立ち上がった。刺身やサザエは座敷に散乱し、包帯だ消毒だとみんな右往左往した。その隙にイカがいなくなった。やがて机の下からほこりまみれで恥ずかしそうに出てきた。洗ってきますか、みんな迷った。
 その夜、民宿の主人から説教された。命をもてあそんではならぬ。そういうお客が時々咬まれる。罰が当たるのだ。我々も神妙な顔つきだった。 
 反省を込めて「ヒラマサ」の会はすぐに解散した。実は、その後、昼休みになると廊下に集まり大笑いしていたのだ。「罰当たり」と叫んで、魚の頭をつかんで立ち上がる場面で、いつも私は、喝采を浴びていた。それが上司に見つかったのだ。

驚いたことシリーズ③

驚いたこと③
 駅のホームに立っていると、旧知の大学教授ご夫妻と出会う。
「私たち、法事で東京へ参りますの」なつかしく楽しい雰囲気。
特急に乗ると偶然にも座席は前後だった。先生は、奥様と相談し
きみ、席をくるりと回せ、今度、漱石の初版本をね」と、先生は上機嫌、
 奥様は朝早く、お疲れの様子、うつらうつら。先生はわがまま、好きなことには熱中するが、嫌いなことは断固拒絶。私は若く、階段を二段ごと駆け上がる。先生も、膝を痛めておられる奥様をかばい、ゆっくり乗り換え。       
 新幹線が着く。先生と同じ車両、席も前後で空席が多い。
「さあさ、こっちこいよ、今日は愉快だ」先生は、車内で子供や
ご婦人がわあわあしゃべるのが大嫌い。先生は古書自慢「この前、北村透谷の」その時だった。ワイワイ騒ぎながら七十代の女性が、たくさん
乗り込んできた。
 ホームにもあふれているではないか。先頭のリーダーが私の頭上で大声を上げた。「どいてください。私の席です」。
「え、なんだい」先生はにらみつけた。「どい てください早く」。
 私は「席は何番ですか」「〇の〇〇のD席」私の座席だったから、私は切符を見せて「そちらが間違いですよ」強く出た。
先生は「そうだよ」するとリーダーはくるりと振り返り、
「この列車は違う。全員降りて、さあ降りて」みんなすぐに下車した。
 先生は、「最近は、ああいうやからが多い。おっちょこちょいだ」。
 まもなく車掌が検札にきて、「お客さん、この切符は後ろからくる列車ですよ」一番前の車両に移動させられた。先生はその後二十年間、何度も何度も笑い転げた。あのご婦人たちの旅は、その後どうなったのか。

驚いたことシリーズ②

 驚いたこと②
 東京の国電にトイレが無いのは恐ろしいことだ。
あれほど多くの人々がすし詰めで、腹の具合が悪い人がいないとは。
 電車で病院へ通う人もいるはず。病院の待合室で、気分が悪くなり耐え
切れずに、ベンチに横になる人がいる。
 この都会では、手術を受ける人は、ハイヤーで行くのか。高見順が病院へ行く日、電車に乗っている詩がある。
/電車が川崎駅にとまる/中略/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/中略/さようなら/「青春の健在」帰れるから/旅は楽しいのであり/旅の寂しさを楽しめるのも/わが家にいつかは戻れるからである/「帰る旅」
 入学式の朝、総武線の水道橋駅か市ヶ谷駅で腹が痛い、電車を降りた。駅員さんに聞くとずっと向こうのホームの端にあるよ、工事中の鉄の階段を降り、いけどもいけども到着しない。
 絶望寸前まで追い詰められ、一つだけ個室があり、ぼろぼろのドアが閉まっていた。取っ手も曲がっている。私は、全力で、猛然とドアを引っ張った。故郷の駅では、未使用中ならドアが閉まっている。入学式の欠席は入学の意思放棄とみなされると思った。
 つまり、これまでの努力がすべてパーになる。冬の夜の受験勉強も、親がくれた背広も、ひとたび黄変すれば、式には出られない。
 左足を壁にかけ、腰から全力で引っ張った。あれだけ全力を出したのは後にも先にもあれが最後だ。
 しかし東京の駅のトイレは、未使用中は開いているのである。
やがて、どんどんという激しい音と「馬鹿やろう」「ふざけやがって」怒鳴り声と共に男が出てきた。「お前、馬鹿か」。しかし、その瞬間私はドアの中に入り、間一髪だった。一ヵ月間、腹の調子が悪かった。今は誰も信じてくれないが、やせて神経質なハンサムボーイだったのである。やがて六月にはデパートのトイレも覚え、電車の中で傘をたたむ余裕も見せた。ただしハンカチ、鼻紙はいつも忘れなかった。

驚いたことシリーズ①

驚いたこと①
 四十年以上前になるが、世田谷の親戚から
受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に。乗客は下へ下へ、階段を降りる。
わが故郷の駅は、ホームから階段を昇る。
雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。
エンジンがかかっているが動かない。
田舎のバスはエンジンがかかれば発車する。
ドアを叩く。「等々力(とどろき)行きはどれですか」
「知らない」運転手さんは、ひどく無愛想だ。
一時間後ようやく見つかった。世田谷まで二時間、
夕暮れになっていた。京都への修学旅行とほぼ同じ。
東京は広い、知らねばならぬ。翌日から探検を開始した。
都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。
日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。
プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、
二台もガレージに並んでいる。兄は先日やっと軽のスバルを
月賦で買ったというのに。勝手口から大きな白い犬と娘さん
が出てきた。正門から黒い車。運転手は白手袋、
これは映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲か。
すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。
わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいた。
しかしだらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/小さい出窓は朝日を受けて/まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
高村光太郎の「我家」という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
 三月の大地震と大津波で、被災された方々は、肉親や友人を亡くされ、家や思い出の品、仕事を失い、避難所で不便な日を過ごしている。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、トイレに行く何気ない日常。そのありがたさを、しみじみ感じている。

2013年9月30日月曜日

キダタロー

同窓会に行ってはならぬ
カラオケのように
トイレが室外にある場合は
行く途中で殺されることが多い

浪速のみなさんキダタローです
東京のみなさんアランドロンです

キダタロー
最高や

2013年9月29日日曜日

厚揚げの煮しめ

厚揚げの煮しめはうまい
カツオと昆布でだしをとり
翌日冷たくなった厚揚げの煮しめ
ちょっと冷めたご飯に乗せて

猫舌は一生治らないのか
親知らずを抜いて
鎮痛剤で

身体が熱っぽいのか
大根も
たこ、すじ

話はおでんに移ったので
この辺でやめる

おでんと言えば
京都に美味しい店がある

ぬる燗が良いらしいが
そこまで余裕はない

きりっと冷えた
泡の出るシャンパンか
冷酒
ビールでも良い
焼酎でも
泡盛でも

2013年9月28日土曜日

親知らず抜いたど

秋晴れの良い日
何も悩みはないがひとつ未解決の問題
親知らずがチクチク神経を触る

15年前歯痛で歯医者に通った
上奥が痛いと言うと
上の奥の親知らずに
ドリルで穴をあけられた

結果は下の歯に穴をあけ
歯髄というのかな
ほじくりだして金属をかぶせた
ピクンと来た時が
神経を切断した時だと思う
私の唯一自慢の銀歯である

穴をあけたままの歯も治してほしいから
夕暮れの東京湾
5年後に同じ医者に行った
2時間待って
誰がこんなことをした
今度抜きましょうといわれ

腹が立って行かなかった
自分の仕事やないかい
10年経って
とうとう抜くことにした

若くて評判の歯科医院は
1カ月待ちだった
ガラガラなのは予約のせいだとは 
知らなかった

こうなったらどこでもいいわい
ベテランのほうがいいかもしれぬ
抜いた歯の回数、経験値によるぞ

ほんとうに空いている歯医者は良くない
かもしれない
電信柱の看板に沿って
聞いたことのある名前の医院に入り
受付をするとずいぶん年配の医師だった
そうかあのころ50代なら、もう70才だ
どうしようと思ったが ええい
レントゲン撮って横たわっていると
抜きますねと背後で声がする
ハイというとチュッと注射された

ふつうはしゃれた麻酔液を噴霧して注射すると聞いていたが
スポ スポ スポ スポと
すでに痛くない麻酔を歯ぐきやのどの奥に打たれ
あのう今日抜くのですか そうですよ
その間に歯の磨き方を教えましょう
隣の患者が終わり さあて
めりめりスポンという感じで
親知らずと別れた
11時半の受付で12時に終わった
長い15年でしたね
歯医者は玄関で笑っていた
好い医者だった
さてあと2本あるが
死ぬまで抜かないつもり
ですけんど

2013年9月25日水曜日

暑くて寒くて

まもなく9月が終わる
6月の終わりから3カ月間

太陽はエネルギーを
存分に放出した

それはそれはすごい
ものだった

戸外へ出ると
くらくらめまいがした

体温より暑い太陽の光が
体内をめぐる

台風も
思う存分暴れまくった

水害も起きた
桜島も灰を吹き上げた

地震もあった
どうしようか

まもなく10月になる
おだやかな

静かな秋になりますように

2013年9月20日金曜日

なんという秋の空

名月や
池をめぐりて

仲秋の名月
すすき & お団子
今宵の月は本当に立派だった

アポロが月へ行って
帰ってきたのが
高校生の時だった

高校の前のうどん屋さんで
テレビを見ていた

少し酔いが回って
安岡章太郎の「月は東に」を思い出した。
「海辺の光景」「幕が下りてから」「青葉しげれる」安岡章太郎の小説が好きだった。私の周りにはそういう人たちが多かった。

2013年9月16日月曜日

厄除けにいく

京都へ
清明神社の扉
いいでしょう
はるばる厄除けに

まずは上京区の清明神社
長年気になっていた
陰陽五行説

それから
伏見稲荷大社
狐さま
どうか病気で苦しむ人
お金で苦しむ人

助けてやってください

ものすごい人でした
暑くて暑くて

するとまもなく

伏見稲荷大社
台風が来て「特別警報」で
滋賀、京都、福井に避難勧告が出て

故郷の川があふれ
友人は中央公民館に朝の3時から
避難して

それに「桃」は厄除けの
シンボルだそうで

清明神社のご神木「楠」

2013年9月8日日曜日

東京オリンピック

1964年の東京オリンピック
以来56年ぶり
再び東京で開催

私が子供の時だったが
いくら計算しても
年齢と合わない

ははあ計算を間違えたな
どのテレビも56年という

みんなが
間違うわけがない

私が間違っているのか
ああそうか

あと7年後だから
2020年から1964年を引くのか

算数に緊張した朝だった
都知事の奥さんの
49日だったそうな

2013年9月7日土曜日

サッポロ塩ラーメン

なんともいえぬ響き
1973年の2月
練馬のアパートで
向かいの部屋に住んでいた
青森出身のイトーさんが
「山崎パン」に就職が決まった
「君には世話になった」と
段ボールひと箱「サッポロ一番・塩ラーメン」
置いていった

外は寒いし
金はないし
毎日、それを食った
結構助かった

調べてみると1971年に発売されている
100円

しばらくすると引っ越しが終わった
イトーさんは
わたしの部屋にあいさつに来て
まだラーメン残っているかい
あったらひとつ頂戴
と笑った

2013年9月3日火曜日

チキンラーメン

チキンラーメンばかり
食べて育った
いわば

チキンラーメンが育てた
私の
頭脳

であり
肉体である

味付け海苔を1枚
これはスターラーメン時代からの風習

ねぎは入れない
なにも入れない

真ん中をへこませて
卵を入れるなんてこと

そういうことはあまり関係ないこと と
いつも思っている

2013年9月2日月曜日

軍事介入

おいそこの
不逞の輩

成敗してくれる
その前に

昨日は何を食べましたか
カレーライス

日替わり定食
日清の

焼きそば

そうそう
塩焼そば

それまるちゃんでしょ

はい
まるちんです

ちんじゃない
ちゃんでしょ

はい
ちゃんでげす

長月ばかり

ウキモノハなし
鬱きものはない

長月はうつうつする
ながつき

9月だぜ
八月が終わって
九月だぜ

まず関東大震災
それから

夏休みに
乗り遅れた虚弱児童のために

特別に開かれる
プール

さみしいけど
青白い

痩せた男の子には
苦痛ではない

のだぜ

2013年8月31日土曜日

8月の濡れた砂

今日で8月が終わる
庭の虫がころころと鳴いて
さみしい

はずだったが
急に猛烈な雨が降って
しかも一粒一粒がえらく大きい
猛然と降る
天はこの水
どこで仕入れたのか
えらい ぎょうさん ありまっせ

レイテ沖か
スラバヤ沖か
台湾沖か
ジャワのあたりかマキン・タラワ

重巡「鳥海」それとも駆逐艦「雪風」

頼むから早く通過しておくんなはれ
雷様
あなたもほんまに強いおかた
どうぞ かんにんして おくれやす
織田作之助の「夫婦善哉」でも
いかがでっしゃろ

2013年8月27日火曜日

ロケットが飛ばない

こともあるさ

それより急に涼しい
というより寒い

北海道は「まいまい蛾」の大発生
たくさん卵を産んでいる
来年も、さ来年も
数年は、繁殖するらしいのだ

そういえば
数年前にものすごい「蝉」の
当たり年があった

シーシーミンミン
やかましかった

みんなうわさした
大地震が来るんでねえの

大学の先生は「7年前の蝉が孵化しただけだ」
と言った
本当に7年も地中にいるのか
誰かが言った

昨年スミチオンを散布したが
蝉にとって
悪いことがなければよい蛾

2013年8月26日月曜日

残暑はどこに行った

8月25日に慶事があり
ウイングカラーのシャツで
ダブル・カフス
刺繍の銀ネクタイ
呼んだタクシーが
強烈にタバコ臭くて
まいったが

久しぶりに涼しい日
料理も美味しかった
シャンパンもよかった
残暑はどこに行ったのか

自宅に帰って
日清焼そば1.5倍を作って
食べたが
これもうまかった

夜8時に寝た
焼きそばの夢を見た
おそらく推測だが
すべての人間の祖先はサルだが
私の祖先は
「焼きそば」かもしれない

2013年8月24日土曜日

今度は大雨に竜巻だ

この地球はおかしくなっている
と思いませんか

思わない人はどこか
がおかしい
と思いませんか

暑くなる寒くなる
大雨が降り雹が降り
それも熱帯のような
土砂降りの洪水、地震
竜巻、珍しい天候のオンパレード

最近の恐ろしい発表
みなさん、自分の生命は自分で
守ってください

観測史上
始まって以来の記録

山肌の近くにいる人
山からなるべく離れた側の部屋に移動すること

河の近くの人は
1階より2階にいたほうが安全
テレビが言っている

正しいようだがどこか変だと
思っています

2013年8月22日木曜日

夢は夜ひらく

赤く咲くのは芥子の花
藤圭子が新宿で死んだ

お昼にロシア軍機が
領空を侵犯した


確か
モネロン島だったっけ

大韓航空機が
領海侵犯で撃墜された

みんな忘れたのだろうか
侵犯するとこうなるぞ


北の海では
漁船が銃撃されて

ああ藤圭子はなぜ死んだのか
歌に巻き舌の悲壮感があった

いまごろ心配になっている
それにしても
夢は夜

ひらくなんて
本当に困ったことだった

焼きそば

日清焼そば
青のりふりかけて
40数年
大好き

マルちゃん
塩焼きそば

あと
鉄板の上
お好み焼き
焦げて かたくて
かた焼きそば

かつおパラパラ
マヨネーズ
私の身体は
焼きそばで成立している

2013年8月20日火曜日

雨が降った

雨が降った
久しぶりの雨

ケンとメリー
「愛のスカイライン」
久しぶりに聞く
そういえば
スカイラインに乗っていた
ガソリンは結構
食った

カローラに買い替えた時
燃料計が下がらない
壊れていると文句を言った

なかなかガソリンを食わないのだった
10年間に
ものすごく進歩していた

カローラはすごい
スカイラインも好きだ

できれば2台あると
良いのだが
私の身体は一つ

2013年8月18日日曜日

江の島へ行く

学生のころみんなで
新宿集合で
小田急だったか
江の島へ行った
砂浜でソフトボールをした
延々と上まで歩いて
通路の両側は人がいっぱい
サザエの壺焼きがうまそうだった
高くてみんな我慢した
店に入ってサイダーを飲んだ
まじめなものだ
どうやって帰ってきたか
覚えていない
イナガワ君とイワサキ君は
沖まで泳いだ
いきなりシャツを脱いで
海岸は黒い砂だった
あれから40数年
江の島へ行く
エスカレータや展望台
お店が減って石段が消えて
通路がバリアフリー
鎌倉のほうからそよそよと
風が吹いている
陸風だったか
海風だったか
それはまったく
変わっていなかった

2013年8月17日土曜日

夏は愛されている

涼しい朝が来ると
急にさびしくなる

夏が終わったら
次は秋だ

秋には秋の楽しみがある
ぱらぱらとあられが舞い
すぐに冬になる

そのころには
すでに夏が去ることに
興味はなくなっており
ひたすら春を待っている

夏は往く
過ぎ去った夏

夏はどうしても愛されている

2013年8月16日金曜日

しょうが と 焼肉

お盆の15日は終戦記念日
今日はカルビの焼肉

醤油を少し
黒こしょう

それにしょうがを
たっぷり擦って
かなり食べ過ぎ

インドの胡椒が
ヨーロッパのステーキに必要で
巨万の富をもたらした

しょうがを山盛りにして
インドを想う

2013年8月15日木曜日

実はデオパン

長く飲んでいた
京都府立の医師のデータという
ことよりも
医師から処方されて飲んでいた
新聞には
この際
効果がない
良くないなら
すぐにやめてしまおう
とあるが
病者の私と

健康人な読者と
私とかなり
こころが離れているような
気がする

ガソリンが高い

ガソリンは
作家小川国夫がヨーロッパをバイクで廻って
作った小説では
イタリアがベンジーナ
フランスがエッセンス・ド・ぺトロール
イギリスはぺトロール
だったか
ガソリン、ベンジン、ぺトロール
あの赤い色いい匂い
ガソリンで洗うと大抵きれいになる
あと10年しかもたないと言われたが
もう15年たったぞ責任者出てこい
電気自動車、水素自動車、空気自動車
小川国夫が亡くなって
蔵書が図書館に寄贈されたが
そのリストの中に私の本があった

2013年8月14日水曜日

お盆

中学の時の英語の試験で
お盆は
ボン・フェステイバル

灯籠流しは
ランタン・フロート

そういうことか
先祖の御霊(みたま)は

地獄の釜も盆はやすみだとか
地獄の鬼も休みで

地獄のふたも開く
だから帰ってくるのかと

子どものころは不思議なことがいっぱい

2013年8月11日日曜日

感染症の映画を

ダステイ・ホフマンとレネ・ルッソの
アメリカ映画
猿の持つ病原菌、免疫
アメリカ軍が出てきて
パニック・サスペンス「アウトブレイク」1995年
20年前の映画をみた
当時エボラ出血熱が出たらしい

森鴎外の征露丸を思い出す
軍が絡む奇妙な病気
脚気だったり下痢だったり

感染した住民は包囲して出さない
車で逃げる青年が軍のヘリコプター
ロケット弾で粉々に

私の周りに交通遮断機があちこちにある
あれは何をする道具だろうか
住民がすべて逃げて
外部の人の立ち入りを遮断するのか
退避に遅れた人は逃げられなくなるのか
犬とか猫、鳥はどうするのだろう
牛や馬は

2013年8月8日木曜日

熱風で 

名古屋へ行く
東海道線が終日乱れた
暑い暑い名古屋
行きかう女性300人は
海水着のようなあらわなスタイル
思わず視線は泳ぐ
いけない、夏は心のカギを甘くするわ、ご用心
これは桜田淳子の歌
朝37度
20分並んでロース味噌カツかぶりつく
電信柱の影に沿ってみんな立っている
ガソリンが160円を超えた
信号機が変わらない
頭じりじり階段では足がふらふら
渡す名刺は汗にふやけて暑く曲がり
相手さまの名刺はしっかり冷えていて

2013年8月4日日曜日

日曜日に仕事に行きました

来年のための仕事
人集め

僕のセクションはうまくいきましたが
隣では

背の高い外国の先生がすくっと
立ち上がり

ハロー
元気ですかというと
みんな黙って

下を向いたままだった
みんな恥ずかしいのだ

島国のうえ
長い間鎖国をしていたんだもの

2013年8月3日土曜日

出すものは出してから

払うものは払ってから

まず
出すものは出してから

ですよね
です

この世は
変なことが多い

だからこそ
しっかりと基本を

だめなものはダメ
危険を回避して

前向きに進むこと

2013年8月1日木曜日

ものすごい

雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨
雨雨雨雨

2013年7月30日火曜日

今日の九頭龍川はブロッコリー

ブロッコリーがあちこちに
浮かんでいるような大きな川
昨日までの降雨で
湯気が出ているのだ
高速道路まで
あと数メートルの水位
のように思えて

どうか
もう
あのような浸水騒ぎが
起きませんように

2013年7月28日日曜日

やっぱりな

矢口祐人著(東大教授)の中公新書
「ハワイの歴史と文化」をよんでいたら
107ページに藤原正彦が1972年に
真珠湾を訪問し、
「急性愛国病」になったことを紹介していた。
「日本」という国家が、個人を急速に変化させる、
私も同じ気持ちになったので
何かで実証したかったが
「なるほどな」、「やっぱりな」
藤原正彦と同じ感情を持ったことを
素直に喜びたいと
思う
ハワイの丘で、日本軍は
よくもまあこんな遠くまで、はるばる来れたもんだと
素直に思ったのだ

2013年7月27日土曜日

光陰矢の如し

7月が終わりそう
大学の夏休みは7月1日からだった
40数年前の7月1日
東京から京都に移動した
リュックを背負ってサンダルはいて
サングラスに長髪
新宿三峰(ミツミネ)で買ったシャツ
京都駅がひどく田舎に思えた
線路から改札口が見える
外が見える、ぺたぺたと歩いて
携帯電話もない時代
待ち合わせはどうしたのだろうか
修学院離宮の狭い部屋
ほんとに暑い夏だった
祇園祭の囃子の練習を聴いた
「京都大丸」「京極」
風のうわさを信じて
渚ゆう子とベンチャーズが
河原町に響く18歳だった

2013年7月23日火曜日

やはり

セミは鳴かない
今朝はじめて
1匹が屋根に飛んで行った
セミが全く鳴かない
どうしたのだろうか
穴が開いていない
孵化しなかったのか

その代り
イラ虫が昨日のスミチオンで
103匹地上に落ちていた
茶毒蛾でしたっけ

イラガ
でしたっけ

2013年7月22日月曜日

シャワーのこと

山から駆け上がる驟雨のこと
シャワーという

英語の先生に
あちらの雨は
シャワーというのですね
というと
テレビで
今日はシャワーがあるでしょう
と天気予報でいうなあ
ハワイ大学に留学していた
先生は懐かしそうに答えた
そうそうウイスキーは
いくら飲んでも
胃がもたれないですね
というとそれと湿度はどうかな
電話の向こうで笑う声がした

2013年7月21日日曜日

ジンギスカン鍋がうまい理由

羊の臭みが熱とともに
あのヘルメットのような坂道を
下に滴り落ちて
くさくなくなるから美味いと

所さんの「目が天」で言っていた
そうかやはりみんなくさいのだ
私だけが1キロも食って
2度と食わない様な
ことをしていないでサッポロへ行って

羊を喰うかあ
と気を取り直した のだった
そのあと畑のような場所の草むしり を
しながら サッポロビールもいいなと
想像したのだ

2013年7月20日土曜日

涼しい

涼しいのだ
どうしたのか
8月の終わりに
急にさみしくなって
セミも消え
コオロギがなく
そういう感じ

しかし
セミが鳴かないなあ

2013年7月16日火曜日

あちこちで

あちこちで
成功する人
株で損をする人
親の遺産をもらって
外国旅行に行く人
病気が治って
みんなに寄付する人

県内すべての公共図書館と大学図書館
小中高の図書室全部に500万円づつ寄付して
病気快癒を喜んだSさんは温厚な紳士だった

寄付で購入した文献を ご案内した
そこまでしてもらわなくても
良いですよ と言われた

そして間もなく亡くなられた

2013年7月15日月曜日

連休が終わって

連休が好きだった
なんともいえない
あの気持ち良さ
この世で一番
連休が好きだった

しかし最近、連休は、そんなに嬉しくない
連休も休日も、みんな、ある方向に進んでいる
一生懸命だ、いわば
「死」に向かって
走っているのだ
この人類の不思議さに
気が付いた
「死なない」ことも苦労だし
「死ぬ」苦しみも苦しいし
そういうことが分かる年齢に
なったのか

2013年7月13日土曜日

土砂降りの雨と

この年まで
暑い夏は それなりに なんとか しのいできた 

アイスクリームやらアイスキャンデー
そうめんや冷や麦

ヒルトンの2階アメリカの天井(高い)
井戸水で冷やしたスイカ
瓜 うり うり うり うり 

湿度は体を痛めることが分かった
湿度のない国にいると調子が良い
湿疹が出ない

とにかく疲労しないのだ
あまりにんにくを食べなくても
七味とんがらし振らなくても

湯豆腐もしょうがも
鱧の祇園祭も暑い暑い
日本は熱帯なのだ

私は 外国が合う のかもしれない


うわさのカム・トゥ・ハワイ

作詞 小林克也 /作曲・編曲 佐藤輝夫

 アロハ! マイネーム イズ バッキー コバヤシ
 アイム ア 三世 フロム ホノルル ハワイ
 アイド ライク ユー トゥ ミート マイ 祖父(グランドファーザー)

 わしらがの ハワイへの はじめてきた時の
 みんながの ウエルカムの ナイス トゥ シー ユー

 わしらはの その時の ベリー ハッピーでの
 ジャパンの ホントの 百姓魂 みせてやったんじゃ
  エブリディ 耕す 水をやる
 パイナップル パパイヤ グァバジュース
 
バイ ザ ウェイ わしらのの 現地の友達じゃ
 カメハメハ アイザック ハウ アー ユー トゥナイト
 ヒラ ヒラ キラ キラ ホロ ホロ カア

 きんさい きんさい ハワイにきんさい
 わしらは みんな ヒロシマじゃけん
 インサイド アウトサイド シーサイド ヒルサイド
 ウイ アー オール フラ フラ シェイキン

 きんさい きんさい ハワイにきんさい
 わしらは みんな クマモトじゃけん
 インサイド アウトサイド  シーサイド  ヒルサイド
 ウイ アー オール  フラ フラ  シェイキン


  2番は 草(ぐらす)のこと、真珠湾攻撃のこと
いろいろ触れてあって、考えさせられる









2013年7月9日火曜日

移民の歴史を読み始める

「ハワイの歴史と文化」
中公新書 1644
矢口祐人 著

日本人の苦労を振り返って
戦争、差別、労働

「悲劇と誇りのモザイクの中で」
ゆっくり読みながら
先人の苦労を
できるだけ理解したい

それにしても暑い
日本は風呂の中で
マラソンをしているような
濡れた列島だった

2013年7月6日土曜日

パイナップル畑

ドール・プランテーションへ行く
すぐにハワイ移民のことを想った
日本人の移民は
広島、熊本出身者が多いと
そういえばホテルの金庫が故障して
カウンターに連絡して係員を呼ぶと
大きな男がやってきて
自分の母は広島出身だ
父はドイツ人だと
日本語で話しかけてきた

2013年7月5日金曜日

1週間留守をしまして

パイナップルのプランテーション
移民の苦労をしのんで
ボーイさん写真一枚とってくれい
英語が通じない
ギャルソン・シルブ・プレ
しかしここは
フランスではないのですが
日本語より公用語だと聞いていたので

2013年6月27日木曜日

とり肉

昔、農村にやって来た外国の調査団が
まず朝ごはんを見せて欲しいと言った。
調査団はノートに記録を取った。
ライスにスープ、ピクルスにチキンとエッグ
素晴らしい。


役場がびっくりして、うそをつくな
同じものを見せろ
農家に迫った。

ご飯、味噌汁、野沢菜と「たくわん」だった。

調査団は「たくわん」を指さした。これは何。
するとおばあさんは、「コウコウ」です。
答えた。

「コウコウ」は、「黄口」と書く、黄色のくちばしだから おそらくチキンの子供だろうと通訳は訳した。
調査団の一人は、コケコッコはクックでチキンだろう。 黄色の「たくわん」はエッグに違いない。
調査団は、日本の豊かな朝食に感心して帰っっていった。

これは鎌形勲という農学博士から直接聞いた話。







2013年6月26日水曜日

ついでに

実践女子大の文化祭に行った
40年前だ
越路吹雪がゲストで
サントワ・マミーを歌い終わって
私のところに来て
どうして女子大に
こんなむくつけき男がいるの
とマイクを突き出してきて
高校の同級生に誘われて
と答えた
ライトはこうこうと私を照らし
熱いなあ

おもわず
まあその
口ごもって、暑い

帰りにパンフをみると
「常磐祭」とあり
女子大なのに「じょうばん炭鉱」とは
同級生は「ときわさい」というのだ
残念そうに言った

2013年6月25日火曜日

団子のことで

40年前のことだ
白山通りを走っているバス
カーデーガンをはおった
大原麗子が乗ってきたぜ
博多から出てきた岩崎君が
興奮して話しかけてきた
本郷の団子屋さんの娘さんだ
週刊誌持って乗り込んできて
笑って握手してくれた
というのだ

肉もいいが
団子もいい

私は黙っていたが
先週銀座で
ちあきなおみと握手したのだった

2013年6月24日月曜日

羊の頭の

ローリング・ストーンズのLP
LPだ
「山羊の頭のスープ」
ジャケットに山羊の頭が写っていた
驚いたな
この中にアメリカでチャート1位
「悲しみのアンジー」
世界的なヒット。今でも通勤時に聴いている。
ストーンズはガツガツしていて、好きだ。

「ラム」というマッカートニーのアルバム
これは羊を押さえていた

羊の脳みそは、ものすごく
くさいらしい

2013年6月23日日曜日

セージ・ミント・ローズマリー

今日は肉の臭みを消すという
ハーブを
刈った
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
バジル、イタリアンパセリ、カモミール
どれもよい香りがして
さわやかな梅雨の
中休みの
日曜だった

ビーフ・カレー

これは
カレーという食品のコーナに
書くべきことでありましょうが
カレーは
ビーフに始まり
ビーフに終わる
と言われたことがあって
知らない街のカレーハウスへ行くと
ビーフ・カレー
を頼むことが多い

もちろん福神漬とラッキョウで

2013年6月22日土曜日

静かな休日

無音の中を
ゆっくりと歩いていく
自分の呼吸と
心臓の鼓動を聞きながら
血液が体内をめぐり
昨日食べたものを
確認して
皮膚と皮膚をつないでいる
つなぎ目を意識する
その切れ目
目や口
口は粘膜になり食道や腸になって
内臓につながっている
立ち止まり見上げると
鳥は食料を探して
飛び続けている

2013年6月21日金曜日

雨が降っている

雨が猛烈に降っている
どうしてそのように
すねて
やけっぱちに降るのか

というより
どうしてそういう性格になったのか
知りたい

女梅雨、男梅雨
繊細な言葉を操る
日本だった

それが
いつのまにか
外来種に負けたのか
スコールのような

いいさ降ればいい
無責任な連中が増えた
気候が暴れても責められない

にんげんが悪い

2013年6月20日木曜日

ジョンとの会話

有名な焼き鳥屋へ
イギリス人の演劇専攻生
ジョンを連れて行った
チャイニーズ・スタイル・ヌードルでもよい
なるほどわかりやすい英語だった
ラーメンは後にして
焼き鳥に行く
イッツ・ポーク、ノット・バード
わかりやすい発音だった
本物の英語だ
焼き鳥の白は、豚の腸で、鳥ではない
さすが肉食人種
すごいもんだ
舌が知っているのだ
1時間
参勤交代を英語で説明した
さっぱりわからん「徳川ピアリアッド」
頭を抱えていた
日本人の私でも参勤交代は難しい
朝まで酩酊して
「悪魔の酒」だと
ランボーのような
ジョンは二日酔

2013年6月18日火曜日

にわとりを食べさせていただく

祭りの日が近づくと
父は小屋から鶏を取り出し
籠を逆さにして中に鳥を入れて
籠の上に石を置き
しばらくほおっておく

静かにしておくと
肉がおいしくなる
のだろうか
祭囃子の練習が
だんだんうまくなって
笛と神楽が調子が出てくると

ある日の午後
ここここっこ
きええーっ

かしわのすき焼きになる
のだった

2013年6月15日土曜日

伊勢参り

お伊勢さんに参ることになって
せっかくだから
松坂で
本居宣長さんの書斎
鈴の屋を見て
おいしい松坂牛をと
さてその店は
知人に聞くと
地元の自分たちは、あの超有名店より
Tという店が好きだ
と教えてくれた
それで予約していそいそと出かけて行った
良い店で、そうめちゃめちゃに高くない
おいしくて追加を頼んだ
まあ普通のコースで、一人8000円くらい
ステーキ3枚ほどでうれしかった
ところがあと2枚追加したら
あと8000円ほど追加になったのだ
私は蒼くなって店を出た
追加はしないものだ
地元の知人は
あきれた声で
そんなにたくさん食ってもうまくないでしょうに
と魂の根源に触れてきたのだ

2013年6月14日金曜日

肉が好きです

肉を腹いっぱい食いたいが
金はなし
1キロの羊肉を買ってきて
しょうがを磨って
なべに入れて
生姜焼き

翌日気持ちが悪くなって
以来40年
羊は食べていない


2013年6月11日火曜日

チキンは

チキン(弱い)を襲う
鷹(強い男)が
ホーク(ナイフ)で刺すチキンホークスとは
つまり・・省略

浴びて 浴びて 愛を浴びて
会える日まで

惚れた女が死んだ日は(小林 旭)

そこから見ててほしい
消えない過ちの消えない日は
連れてって さよならよりも 切ないものは
咲かせて 咲かせて 桃色吐息
さびしいものは あなたの言葉
異国の響きに似て 不思議 

2013年6月10日月曜日

草むしり

草を抜く
長く伸びた枝を伐る
ワイヤプランツを株分けして
水をやり
日本カナヘビ
が交尾しているのをみる
両手が細かく動いている
蛇ではない

男同士が喧嘩して
嫁の取り合いをしている
毎年同じだが
今年は暑い

羊は好きではなかった
マトンとラムがわからない
安物ばかり食ってきたせいか

2013年6月7日金曜日

暑い梅雨

暑い
わがままだが
そろそろ冷房が欲しいなと思う

今日は、二つの大きな相談を受けた。
連綿と続くシステムの方向を決める
新しい大学の図書館の進むべき方向

もう一つは
古い医院のカルテを個人情報保護の観点から
どろどろに溶解する
溶解の現場まで付き添っていく
必要があるかどうか

付き添っていくべきだろう
チキンのことを考えながら歩いている

2013年6月4日火曜日

ホルモン焼き、評判の店へ

行きました
驚いたのは
お客が店員にえらく丁寧に接するのだった
焼酎、お湯で割ってもらって
いいですか、いいですよ

こちらなら、芋、お湯割り
はよもってこい で終わり
やたら丁寧だ
おいしかったあ、ごちそうさまあ、

こちらでは
ちょっとホルモンが足りんど
キャベツばかり いらんわ
俺は馬じゃない 
もうこんわ 毛根がないのではないぞ

2013年5月31日金曜日

馬のこと

獣医の(故)加藤先生は戦争で満洲へ行き
終戦になりソ連に連れて行かれた。
いわゆるシベリア還りである。
その先生は、終戦から1週間さまよって
いるうちに馬が死んだ。
しかし獣医だから馬を解体して、肉を焼き
おにぎりくらいに固めて、ポケットに入れて
かじりながら歩いたそうだ。
熊本の人ながら馬は生では食わない。
したがって馬刺しは食わない。
トキソのせいだと力説されたが、なにか
ほかに理由がありそうだった。

2013年5月30日木曜日

豚肉生姜焼き

豚肉生姜焼の思い出を話そうかな
45年前の武蔵野市吉祥寺
「キッチンカッパ」というしゃれた店があった
お姉さんが岩下志麻に似ていた
弟が二人双子のようで
ハンサム男で27歳くらい
日曜日の吉祥寺の上品なランチは
成蹊大学のケヤキ並木
1000円くらいだったか
こちら1日500円の貧乏生活
バスが30円の4回
昼が学食100円カレー
ショートホープ2箱100円
コーヒ70円と 夜が130円ラーメンだった
帰りに山下清展で
本人からサインをもらった

うし

青草の牧場で
カウボーイの男たちが
ローレンローレン。ローハイド
牛が歩いて西部に
ほこりっぽくて
西部劇という

昭和30年のころ
カレーライスの日
中肉400グラム
肉屋さんに
お買い物にいく

竹の皮を
くるくるとまわし
隅っこを すうっと裂いて
ひもを作って はいどうぞ

2013年5月29日水曜日

食い物・飲み物の話

まずは肉だろう

甘い、やわらかい、ジューシー、
牛、馬、鶏、羊、豚、熊、イノシシ、鯨肉

近江牛、松坂牛、神戸
ステーキのにんにく、すき焼き、真っ白な砂糖
ステーキの大根おろし、焦げ目



2013年5月28日火曜日

困ったことに

困ったことに
行きたくないところに
行かなければならない
ことが多く

困ったことに
会いたくない人に
会わなければならない
ことも多い

困ったことに
行きたいところに行けない
ことが多く

困ったことに
会いたい人に会えない
ことも多い

困ったことに
生きたいときに生きられない
ことが多く

困ったことに
死にたいときに死ねない
ことも多い

人生でしたねえ
はい そうです

2013年5月27日月曜日

巨大な竜巻

とるねーど
野茂選手みたいな

アメリカのオクラホマ
すごい竜巻

風速90メートル
石原裕次郎は
風速40メートルだった

にくいあんちくしょう
あしやからの飛行

ダイナマイトが150トン
ちきしょう恋なんかぶっとばせ

なんですかこれ

2013年5月26日日曜日

棚を作った

ゴーヤと
きゅうりの
つるが伸びてきたので
棚を作りました

スズメが来て
騒いでいる

バラが咲いた
地区の小学生が田植えをしている

これくらいの田舎が
ちょうどいいんじゃないか

ホテルもプールもレストランもある
不意の来客でも対応できるし

2013年5月25日土曜日

佐世保の続編

いろいろ間違っていてすみません
まず旧佐世保無線塔は
ニイタカヤマノボレを送信したとされ
日露戦争ではないのです

久松五勇士の物語
宮古島から石垣島へ5人の漁師が
15時間も小舟を漕ぎ山道を30キロ歩き
八重山郵便局へ到着。那覇郵便局、県庁、
東京の大本営へバルチック艦隊の到来を告げた

佐世保は関係なかった
信濃丸が敵の病院船を発見したことは
有名ですが、40年前に宮古島に旅行した際
記念碑が建っていて
私は感動したのです

昔、佐世保へ行ったことがある

街の中に三浦町教会があり
白い建物がきれいだった
戦争中は空襲で目立つから真っ黒に塗られた
誰かが言っていた
佐世保の駅から港が見える
軍艦が沖を向いて泊まっている
もたもたしないですぐ出発できるように
宮古島の漁師が小さな船で
バルチック艦隊の煙突の煙を発見して
手旗で情報をリレーして
敵艦が日本海に来るか太平洋に回るか見極めた
皇国の興廃、此の一戦にあり、お手柄だった
その電信が佐世保に届き
その鉄塔がこれである
誰かが熱弁をふるっていた
そういう記憶が かすかにある

2013年5月24日金曜日

株は大荒れ

おおい
株が
あがったぞお

おおい下がったぞ
おおい上がったぞ

主役は外国人らしい
6割が外国人だって

1000円も動いて

大荒れ
先物だって

乱高下だって

2013年5月23日木曜日

この頃は

私も
最近
気が長くなって
かあっとなっても
ちょっとまて
気を鎮めて

どうしてそういうことを言うの
じゅんじゅんとサトシテ
その理由を
論理的に
耳をそろえて

聞く余裕を
まったくもっていない わい

2013年5月22日水曜日

ヒマラヤ

ヒマラヤを超える
インドがん

誰かが暇やろ
という

ちがう
ヒマラヤだ

ヒマラヤの上を
飛ぶアネハ鶴の群れ

その山に
三浦雄一郎は零下50度で
きばっている

2013年5月21日火曜日

人生が二度あれば

ジョニー・デブじゃない、デッブのお面
人生が二度あれば
という歌がありました

二度あればやり直しがきくでしょう
しかしきっと
二回やることが当たり前になって

二回頑張って良い方を採用してと
そういうやり方が蔓延するだろう

人生を二回
別のやり方で実施するなんて

しんどいことだ なあ
そうおもいませんか

2013年5月20日月曜日

いつも不思議な

たとえば痛い目に合う
場面を集めた番組で
きちんとカメラが回っている

たとえば魚が
人を噛む珍場面
必ずカメラが回っている
これみんな「やらせ」なのか

しかし大木を伐り倒すシーンで
家に接触するという時
家は、ぎりぎりで無事だったが
倒れた木の反動で
はしごが吹っ飛び
乗っていた男が転落したのは

2013年5月19日日曜日

雨の日曜日

日曜の午後に雨が降り
「ジェシカおばさんの事件簿」を見ながら眠ってしまった。
目が開くと、それは
アガサ・クリスティーの「ミス・マープル」で
「青いゼラニウム」という映像だった。
困ったことだ。こんがらがって。
イギリスの田舎の風景
運命がどっちに転ぶか
エリオットだったかワーズワースだったか

我が家の離れの
床の間の隣の違い棚においてあった
大正時代の金色の置時計
不意にスクリーンにあらわれて
おや、と思って
すぐに50年前に記憶が戻された

2013年5月18日土曜日

引き分けの理由

テレビ囲碁の手合割4子
棋力判定会
小学生の女の子がなかなか強い

そういえば40年前、団地で囲碁を教わった
20人が段ボール箱に折りたたみの碁盤を載せ
私の相手は悔しがりのインテリ老人だった
9目風鈴から始まって1年で白番黒番が逆転した
陣地を囲んで勝ったなと、安心していると
「落下傘部隊だあ」と叫んで、どんどん石を落してくる
老人の鼻息が「フガフガ」いう。今思い出しても楽しい。
これでもか、これでもか、「オッチンダカ」「オッチンダカ」と
叫ぶ。老人は力いっぱい石を打ちつけた、瞬間に
碁盤が箱から落ちてしまった。白黒の石が全部
ガチャガチャになって散らばって
二人に並べなおす棋力はなかったから
その夜は、引き分けになったのだ

暑いねえ

いい言葉ですね
暑いねえ

朝は始まる
午後は雨らしいねえ

昼は始まる
夜は寒いかもしれんね

夕方が終わる
雨が降ってきたな

夜中に向かって
もう四時か

起きてしまうか
朝が始まる

2013年5月16日木曜日

あちこちから

本が送られてきた
著者よ
よく頑張ったと褒めてあげる
難しい漢字を使っている
最初の1行目から感じる
さぞ苦しかっただろうな

1冊はエネルギー政策
1冊は農業経済学
1冊は仏教美術

読後はさわやかな気分
きっと著者も毎日はりきって、
夢中で楽しかっただろう



2013年5月13日月曜日

真夏日

まなつび だって
5月になって 雨が降って
寒くて 灯油入れて
ついでに ストーブも出して
すると
今日は暑くて 暑くて
真夏日だって いうじゃない
この地球は 瞬間湯沸かし器かそれとも
ほどほどというものを知らないのか
なるほど わが車は冷房のスイッチが入り
手足が冷えた
外は暑く 中は冷えて
イカの天ぷらのようだ

2013年5月12日日曜日

ああ気持ちがいい

このごろ感じること

五月の花々が咲いた庭
若葉のもと
蟻が働いている
おだやかで明るく
さわやかな不安のない時間
ああ うれしい
おそらく知らぬままに
長い間蓄積されてきた
得体のしれない
何かからの
解放

2013年5月11日土曜日

雨降りお月さん

我が家の目高
野口雨情作詞・中山晋平作曲 


雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人でから傘さしてゆく
から傘ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく

いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
手綱の下から チョイと見たりゃ
お袖でお顔を かくしてる
お袖はぬれても 乾しゃかわく
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて ぬれてゆく

2013年5月9日木曜日

散歩は一人で

散歩は一人で行うスポーツ。

 車の中のきれいな美人は、きっと僕の方を見ているだろう。ちゃうちゃう誰も見てまへんで。
 ラーメン屋は午後2時まで。トッピングの卵は売り切れ。なるほど、看板を見ているのに、僕は自分のことを見ているだろう女性を意識している。 

 前から来たじいさんの自転車と衝突「人は右やろこのあほが」じいさんに怒鳴られ、歩道でも適用するのだろうか。
 あやまりながら助け起こすが、にんにくというより、歯槽膿漏、タバコのヤニで、じいさんは、入れ歯まで落とした。こわい顔。まさに宦官。

 春は福井大学の塀に沿って裁判所、中央公園からお城、九十九橋を越えて帰ってくる。

 学生がいる。小学校の校庭は野球練習。隣では楽しそうなテニスクラブ。街路樹が新芽を吹いている。

 日々の散歩の折に僕はいつも狭い露地を歩いていた。「マルドロールの歌」の一節。ロートレアモンにはいつも参った。
 

 そうだ、犬は飼主に似るといわれる。不思議に思うが、犬の「表情」は確かに飼主に似ている。富山でフレンチ・ブルドッグを連れている夫人を見た。帽子をとると、夫人はフレンチ・ブルドックよりフレンチ・ブルドッグだった。
 
 
 夏の散歩は暑いから午後5時から7時の間。蝉の中。昔の事や、学生の頃ビールを飲んで笑っていたことや、川で遊んだことを思い出す。

 住宅街の一角。庭でバーベキューをしている。子供達がトウモロコシを持って騒いでいる。僕も同じことをやってきた。隣の兄ちゃんは金沢まで行った。先にやっててや。
 かえでの葉が生い茂り、夕日がきらきら光る。頭の中にブラームスが流れてきたり、サンタナのブラック・マジック・ウーマンが聞こえてくる。夏は心の鍵を甘くするわご用心、桜田淳子の声もする。足羽山は犬の散歩が多い。曲がり角の向こうから巨人阪神戦のナイター中継が聞こえることもある。携帯ラジオを鳴らしながら散歩している。
 ホームランが出ると立ち止まるので犬は迷惑だ。夏は元気な人が散歩に出る。打ちました入った入った入ったあ。

 枯葉が落ちる。センチメンタルに。白い便箋に手紙を書く。中指が青いインクで染まっている。誰かさんと誰かさんがミニクーパでデートだ。
 うしろにスヌーピーを乗せて。いいないいな。

 柿の実がなっている。眺めていると、2階からこちらを見ている人が「ピシャリ」と戸を閉める。なにも盗りませんよ。怪しく見えるのか。

 歩いていると突然犬に吠えられる。郵便局の人に聞いた話。長い間カバンは「牛皮」だったが、犬に噛まれるので合成皮革に変えた。
 電気メータを調べる人「ビーフジャーキー」を持っている。吠えられたら、ぽいっとやる。次回からは1回だけワンというよ。
 頂戴という。1回だからワン。ドウもすみまわん。冬の散歩は運動公園。

 木々は寒風にさらされるが、よく見ると新芽が出ている。春の準備をしている。春がくる前にもう雪の下で準備している。春に遅れる新芽など、ない。

 雪の道は歩きづらい。犬は人間が通った場所を選ぶ。信号を待つ間、車の水がかかるので、人も犬も、すこし道路から離れる。田舎の犬はきっと「ばしゃ」と水をかけられるのだろう。

 散歩の途中、犬が向こうからこちらを見ている。秋田犬、それがちょっと尻尾をふって近づいてくる。6百メートルほど離れている。こちらが早めに右へ避けると向こうも早めに向かってくる。
 いやだいやだ。無人の交番へ避難した。するとパトカーがやって来て、「何か用か」。「犬に追われています」。「なぜだ」。「知りまへんがな」。


農と図書

農と図書 ①
 田んぼが一面に拡がっている。荒起こしのトラクタの後ろに数十羽の白い鳥が、ちょこちょこ歩いてミミズを漁っている。鳥の回転
寿司店だ。この季節が過ぎ、みるみる田に水が湛えられ、ツバメが舞い飛ぶ。田植え、五月の連休、遊びに行きたいのに苗箱を洗ったり、鯉のぼりを上げたり、忙がしい季節である。雨が降り、風が吹き、暑い夏になる。害虫駆除、除草剤、農薬散布。台風が襲ってきたり。やがて収穫。コンバインを小屋から出してエンジンをかける。調子がよければあっという間に、稲刈りも終わる。わらは細かく切って田んぼに撒く。野焼きの煙には。独特の慕情がある。しかし洗濯物に煙の匂いが付着するので苦情が出る。 

 わらは、夜なべ仕事で草履、わら縄、筵(むしろ)、かますに変身した。かますには大量の塩が入っていた。味噌や漬物に使われた。工夫して、
お金を使わず生活してきた。なるほど、井戸に水道料金は要らない。米や野菜は買わない。春の山菜、タケノコ、夏の鮎、こんこんと出る湧き水にスイカや瓜を冷やし、キュウリやトマトもおいしかった。秋のキノコ、栗ごはん、祭の柿の葉すし、刺身や焼きサバ。秋刀魚の苦味も美味しかった。冬はボタン鍋。干し柿、あずきを煮て作ったぜんざい、よもぎ餅、ニシンの麹ずし。なにしろ朝暗いうちから起きて、動き回る。流行のメタボ、血糖値、糖尿病の境界値なんてどこにもない。
 
 

 村の男は、キセルを手に、器用に火種を転がし、ヤニで染まった歯に日本手ぬぐい。農機具会社の野球帽をかぶって、みんな無口。ほっそり痩せていた。太い指は節くれ、爪は黒く変形していた、たくさんの荷物を運んできた強い腕を誇っていた。その村人たちがネクタイに革靴で出て行く時は、団体旅行か結婚式くらいだった。待ちに待った温泉旅行の朝、おじいさんが起きて来ないので、見に行くと、ご臨終だった。そういう話をよく聞いた。


 大学図書館には、農業の専門図書が集まっており、坂本慶一、常脇恒一郎、祖田修、偉大な専門家の謦咳に触れることができた。伝統的な農業は、うまく循環している産業で、肥料、食料、人までも土に還る。村の人たちは隣近所に負けないように、真面目に働いてきた。田植は木枠を押して格子のあとを刻んで、手で植えた。汁田といって柔らかい田は足が抜けず、なかなか進まなかった。
 苗を先へ先へと、手で放り投げる。国道沿いの田んぼには都会の車がやってくる。爆音を残して、笑いながら去っていく。「煙草の自動販売機、近くにあらへんか」あの関西弁の若い人も、もう七十歳を越えただろう。子供にとっても稲刈りは、鎌の切れ具合が勝負だ。腰が痛くなる前にうまく立ち上がる。稲架に放り投げると、コースがよければ、さっと取り上げてくれる。草履はサンダルになった。味噌や漬物もビニール袋に入っている。 

 海岸にはなぜあんなに発泡スチロール、プラスチックが打ち寄せられているのか。堆肥になって魚の栄養にならないものか。海へ行くたびにそう
思う。ある教授は、農家に現金が必要な社会が到来することを大変心配し、いくら先祖伝来の美田や畑を相続しても、休日は勤務の疲れで畑へ出なくなる。作物ができないから、共稼ぎの嫁は仕事帰りにスーパーで、米や野菜を買う。
 帰宅しても各自の部屋に入るから、作業の相談もうまくできない。深夜映画を観ると朝はどうしても起きられない、田んぼの水も車からちらっと見る。米の代金は月賦に消える。電気毛布でぐっすり、お湯でシャワーを浴びると小原庄助さんだ。指も柔らかい。
 ブランドネクタイにメッシュの靴。週末はゴルフの打ちっぱなし。子供は都会へ出て帰ってこない。この夫婦も老いて施設に入ることになる。そして時々子供夫婦がやってくると年金を少し渡す。という話を三十年前に予測していた。


 都会へ出た子供たちが年に三万円を払って家庭菜園を借りている。そういう番組を見た。子供の頃、味わった土の感触が忘れられない。
 食べて、飲んで、お金を使う消費生活に飽き飽きしたという。女性歌手がサンダルに半袖で田植えをしている田植機の宣伝があった。
 パラソルに笑顔はホテルのプールサイドと同じ、土には触れずに田植えができるらしかった。  
 実は私は、数年前から堆肥を作っている。機会はあったが、なかなかできなかった。落葉や草を市の指定袋に入れて、せっせとゴミステーションへ運んでいた。ある日、草の袋を半年ほど庭の隅に放置してしまい、つかんだ弾みに破れて中身がこぼれた。
 さらさらした茶殻を乾燥させたような新鮮な土の感触に、はっとした。それ以降、せっせと堆肥作りを楽しんでいる。落葉を積んで山に
する。だんだん調子に乗って郊外の自動精米機から「ぬか」をもらい、これに水をかけビニールシートで覆う。覗いてみると白いカビが生えて、いいにおいがする。
 やがて黒い土が出来上がる。仲の良い綺麗なトカゲの夫婦が住みついた。図鑑では「ニホンカナヘビ」とある。秋の夜はコオロギや鈴虫がリンリンと響く。知人の畑は真っ黒である。本物の牛糞を入れているらしい。ある教授は京大の農場が日本一だと威張る。理由は京大の農場は京都競馬場の馬糞を使っている。なにしろ天皇賞に出馬する最高の馬だと。地方競馬場の近くに、大学が農場を持つことが多かったらしい。日本一の肥料という。私は草が好きだ。草むしりの喜びを知った。
 

 草はそれぞれ性格が異なっている。花の形に似せて、生きているのや、頼りなく見せて根が強いのもいる。しゃがんでいると様々なことが浮かぶ。亡くなった人のこと。浜茶屋で、子供の浮き輪に空気を入れていた同僚。大きなシャチの浮輪。葬式ではその子供が、ずいぶん大きくなっていた。   
 結婚式の記念写真で親戚が、ほとんど亡くなっていることも寂しい。


 政権交代があった。ずっと前の細川政権の新党さきがけ代表だった井出正一氏の趣味は「草むしり」だそうだ。趣味といえば、読書、音楽、囲碁が相場で、「草」は珍しく、いつまでも記憶に残っている。武生市出身の政府税制調査会長故小倉武一先生は、大学図書館に二十五年間、蔵書を寄贈された。農政センター会長室に荷作りに伺うと、炭を運ぶ人形が置かれてあり、しげしげと見ていると「嫁に行った娘さんが、炭を背負って山を降りていくところだ。欲しかったらあげようか」小倉先生は笑っていた。秘書が「いけません、これは昨日、頂いたばかり」とあわてて制止した。
 先生は「炭を焼くのは男、ふもとまで下ろすのは女の仕事なんだ」と。先生は、まもなく他界された。草むしりをしていると不意に過去の断片が現れる。「複合不況」の故宮崎義一先生から蔵書をいただき。ある日、蔵書目録が完成したので連絡すると、珍しく電話口に出られ「やあ大変だったね、ありがとう」明るい声だった。
 数日後、お亡くなりになった。あれが別れの言葉だったのだ。「アーロン収容所で鉄九は震えていた」ビルマへ出征した敦賀連隊「安」兵団の父はぽつんと言った。「鉄九」は泰緬鉄道の「鉄道九連隊」だ。古書店で文献を探してみよう。言葉が出たり消えたり。

 汗もどんどん吹き出る。頭から水をかぶって麦茶を飲む。「そうめん」を力いっぱい食べる。生ショウガをがりがりおろす。やがて、まぶたが重くなり、うとうとする。起きているのか眠っているのか。これが桃源郷なのか。 
 はるか向こうに行かずとも、桃源郷はそうめんの近くに横たわっているのか。しかし、心配事が待っていると、桃源郷は消える。若い時は悩みも多いから、草むしりは年寄り限定の本当の贅沢なのかもしれない。お年寄りに悩みがないわけではない。

  ⑤退職した友人からハガキが届く。「源氏物語」「カラマゾフの兄弟」を最後まで読み、畑を耕すらしい。考えてみれば「姥捨て山」に老人を捨てるのは、生者優先からみればごく自然なことだ。自分の食糧を子孫に残すため、山に入った老人は結構楽しく暮らしたかもしれない。柳田國男全集(筑摩)全33巻を読んでほしい。
 明治33年に農商務省に入り全国農村を歩いた。第2巻に「遠野物語」と「時代ト農政」がある。「田舎対都会の問題」が書かれている。若者が都
会にあこがれるのは仕方ないことだ。「山の人生」「海上の道」など読んでいてはっとさせられる。友人の老後は退屈しないはずだ。東畑精一博士の労作「日本農業発達史」全10巻(中央公論社)は、重要な基本文献、第一巻三章「老農の役割と農業技術の推進」に「長年の体験と見聞」が大切、先覚者がいかに重要か書かれている。小学校の像、二宮金次郎も親孝行で勤勉な人。戦前の「二宮尊徳翁全集」は全6巻からなる。
 戦後農政を牽引した小倉武一氏の著作集第14巻に「舌耕と耕雲」
がある。「農は舌耕に非ず」農業は弁舌ではない。座右に道元禅師の「耕雲」の額があった。「釣月耕雲」は月を釣り雲を耕すことなんてできない、そもそも無理なことを意味するそうだ。四字熟語にしてはどうも理屈が合わないので出典を探した。「永平廣録下」の巻10(金沢文庫)に詩「山居」があった。「瑩月耕雲慕古風」月を磨(みがき)雲を耕すような大きな心。これならよくわかる。禅の世界には「布袋観闘鶏図」など人を楽しませる部分がある。「月を釣る」は面白い構図であり、変化したのだろうか。
 小倉先生の奥様から「耕雲」と刻まれた銀のしおりを頂戴した。菩提寺は敦賀松原、永建寺。農林省入省時に「農政の神様」石黒忠篤(ただあつ)次官が訓示した。「諸君の役所にはパッカードで乗りつけて陳情する者はいない」農民の視線を大切にという意味だ。「石黒忠篤伝」(岩波)がある。

 ⑥石黒の父は文豪森鴎外の上官で陸軍軍医総監石黒忠悳(ただなお)。鴎外の留学中にドイツへ出張してきた。鴎外は通訳を務めるが結局、石黒と一緒に帰朝する。鴎外の日記「還東日乗」に「五日。夕。発伯林。同行者爲石黒軍医監」とある。恋人エリスのことは書いてない。明治21年七月、原文はベルリンが伯林ではなく柏林(岩波鴎外全集第35巻)となっている。鴎外はドイツで長州閥の先輩乃木少将に数回会っている。那須の大地を耕し、鍬をふるう寡黙な軍人は国民的英雄だった。鴎外は明治37年5月26日、第2軍の軍医部長として、第三軍司令官乃木の長男勝典の最期を見届けている。明治天皇は乃木をかばった。
 
 

 西南戦争で軍旗を失い死に場所を求め、粗食で軍服を離さず、息子二人を亡くした老将軍を学習院長に任じたが、天皇の崩御に夫人静子と殉死した。国民は驚愕した。漱石は「こころ」を、鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」芥川は「将軍」を発表した。乃木は困っている家を訪ね、仏壇に手を合わせ、借金を代りに始末し去っていく、そういう美談が拡がった。親戚の仏間には、いくつも軍服の写真が並んでいた。戦死した若い息子たちの写真は黒っぽく、表情はぼんやりしていた。
 隣の新しい写真は息子のあとで亡くなった白髪の両親だ。「日露戦争乃木軍絵日記」という本がある。著者は吉野有武氏。大正3年鯖江連隊司令部に勤務し明治37年日露戦争に乃木軍の一員として参加。大正3年発行昭和55年再版(安田書店)された。

 「鐵条網に累々たるは我同胞の骨肉なり」と説明文にある。当時の検閲をくぐりぬけ出版されたと思う。昭和の恐慌や飢饉で娘を売る窓口が役所に設置される。大陸の戦場は拡大するばかり。第一次世界大戦以降、飛行機や戦車や爆弾など兵器は飛躍的に発達する。
 鉄道や映画産業、あらゆるものが戦争へと集約され技術の進歩は大量の犠牲者を生む。空襲は街を壊滅させ、多くの市民や子供たちが犠牲になった。


 鴎外のドレスデン、漱石のロンドン、東京も名古屋も大阪も、広島、長崎も市民を巻き込んだ無差別爆撃で悲惨な廃墟になった。福井にも焼夷弾が降り、残された嫁や老母が懸命に「猫のひたい」ほどの畑を耕し、戦火の下を逃げまどい、夫や兄の帰りを待った。稲刈りの叔母は「米軍のジープがこわかった。田んぼの中央へ這って隠れたが震えが止まらなかった」毎年必ず繰り返した。海で塩水を汲み、道の草を食べて帰ってきた。

たどりつきふりかえりみればやまかはをこえてはこえてきつるものかな」河上肇の歌。河上肇著作集(筑摩)は全12巻、全集(岩波)は全36巻「日本尊農論」「日本農政学」に農業とは何かが書かれている。
 配給の味噌をおまけしてもらい喜び勇んで餅にくるんで食べる。ふるさとの味だと「詩集」に書いてある。56豪雪時、雪下ろしの腰痛で整形外科が繁盛していた。待合室では交通事故に巻き込まれた老人が怒っている。若者に「じじいぼやぼやするな」と言われた。若い時、腕のいい整備士で調整が難しい爆撃機「銀河」のエンジンを担当していた。
 

 白いマフラーの特攻機が翼を振り雲の中に消えていく。どうか敵に遭うまでエンジンが回り続けますようにと祈る。体当たりするための整備を想像できますか。老人はここまで話すと「お静かに」と帰って行った。歴史は活字で引き継がれる。「明治農書全集」13巻には、小学校の頃の風景、田んぼに黒牛がいる。
 「ドイツ農民戦争」は領主と農民の残酷な闘い。一方で、家庭菜園用「そだててあそぼう」シリーズは、ナスやキュウリなどの栽培を学ぶ八十余冊の絵本。近代日本文学では長塚節「土」を再度読みたい。

先人から教わること

◎先人から教わること
 暑い夏、熱風の渦巻く市街、一匹も蚊がいない。息を吸い込む、むうっとなる。熱射病、どんな病気なのか。油断があった。生垣(いけがき)の剪定(せんてい)に夢中になり、四時間、屋外にいた。すると手が弱く震え、気分が急に悪い。はしごからゆっくり下りて額に手をやると冷たい。あわてて風呂で水を浴びる。立ち上がれない。猛烈な吐き気が三度、腹痛も。とにかく気持が悪い。

 胃も痛い、いくら水をかぶっても、自分の背中の位置がよくわからない。
心臓が重い。声がかすれる。倒れこむ。頭から額から、「ぼたぼた」と水が流れる。汗だろうか。氷が溶けるみたい。横になって三十分、ふわっと気温が戻った。テレビは「戦争特集」。ヒトラー、真珠湾、南方派遣軍の将兵。重い荷物を持って行軍する。つらいだろう。

 戦闘帽に日除(ひよ)けの布を垂らしている。幼稚園の帽子に耳垂れの布が付いている。あれだ、あれ。頭の上で巻くインドのターバン、アラビアのロレンスの風呂敷のような布。頭を護(まも)る帽子。
 
 

 子供の頃(ころ)、皮膚を焼かないと馬鹿(ばか)にされた。日焼け大会があり、本ばかり読んで遊ばない私は、青瓢箪(あおびょうたん)と呼ばれ軽蔑(けいべつ)された。生垣の剪定は暑さで中止、樹木の形はゆがんだまま。路面は六十度らしい。ミミズも焦げて焼け石に蝉(せみ)も鳴かず。


◎何が待っているかわからない
 小学校入学から十二年。朝から晩まで国語に社会に数学、理科、英語。古典文法。「せ、し、す、する、すれ、せよ。き、し、しか」。フレミングの法則、勉強の嫌いな生徒にとって、耐えられない日が毎日続く。ああこの苦しみは、いつまで続くのか。悶々(もんもん)と過ごしている児童・生徒を思うとかわいそうで仕方がない。
 中学生の頃(ころ)、有名な番長が私を月曜日の放課後にやっつけるという。友人が知らせに来た。日曜の夜、気分は最悪。思わず「はあー」と長いため息をついた。四十五年も前だがいまだに鮮明だ。
 

 あれほど暗い日は、親の葬式を除いて経験が無い。父はため息が大嫌い。「ため息をつくな、どうした」と叱(しか)る。とうとう、こまかく説明した。「人間、逃げられない時は戦うしかない。必ずチャンスがある、あごを狙え」しかし父よ、言うほど簡単ではないのです。
 
 

 翌朝の学校は、放課後の私のことばかり。いつもはかわいいマドンナさんまで、「あんた今日大変らしいな、ものすごう痛いで」近所のおばさんみたいな口調。誰も助けてくれない。
ぼこぼこにされて子分になる仕組み。午前中の授業はみるみる終わる。いつもより、すごいスピード。給食さえ何を食べたかわからない。おまけに臨時会議で下校時間が早くなるらしい。どういうこっちゃ。
 せめて四時頃まで授業して欲(ほし)しい。「青瓢箪(あおびょうたん)」が、さらに蒼(あお)ざめて下駄箱(げたばこ)へ。
 

 通路に五人立っている。できれば「透明人間」になりたい。やるなら早くやれ、しかし何も起きない。翌日、番長から廊下で呼ばれた。「俺(おれ)の親父とお前の親父は敦賀連隊で戦友だったらしいな」。
 
 

 笑顔の番長に私は混乱した。子供の喧嘩(けんか)に親が出た、いや子供の喧嘩に国が出た。泣く子も黙る大日本帝國陸軍が私を助けてくれたとは。人生は短く、学校は長い。


◎本を読めば役に立つか
 どういう人が教養人なのか。吉田兼好は「徒然草」第1段で「ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃(かんげん)の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(つたな)からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男(おのこ)はよけれ。」、すこし引用しました。
 

 この時代のダンディーは物知りで、笛を吹き、酒は少々、和歌もうまい。今も通用する基準ですね。こういう人なら、うまくいくのではないか。鴎外は「春秋左氏傳」、漱石も芥川も漢文の素養があり、近代批評を確立した小林秀雄、作家石川淳は、ともにフランス文学を基本に持っている。何を読めばよいか。
 図書館へ行くと東洋文庫というシリーズがある。
第1巻は砂漠に消えた都市「楼蘭」、ほかに「古今奇観」や「アラビアン・ナイト」「アメリカ彦蔵自伝」「和漢三才図会」や「大津事件日誌」など珍しい
題名が並んでいる。文学全集には、志賀直哉、太宰治、井伏鱒二、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、大江健三郎はわが福井の中野重治を敬愛している。
 若狭の水上勉、丸岡と関係がある開高健、みんな立派な全集がある。鶺古典では、竹取物語、枕草子、義経記、古今和歌集、今昔物語、東海道中膝栗毛、日本霊異記、古今著門集、源氏物語、平家物語。英国のシェークスピア、体力のいるロシア、トルストイ、ドストエフスキー。アメリカなら、へミングウエーかな。しかし、文学作品を読むことは何の役に立つのか。本で読んだ知識の量は多ければ多いほど良いのか。誰でも秋風が吹けば、迫り来る冬を感じることはできます。それでよいが、読書人は「秋風愁雨」という文字がまぶたに浮かぶ。秋の夜長の読書が自分の心を鍛えてくれる。おまけに図書館が無料で貸してくれる。

◎すべては夢のように過ぎて
 地平線のかなた、スペインの向こうは垂直の滝になっている、ごうごうと。宇宙には、そういうことがあるかも知れない。なにしろ宇宙の果ては誰も行った事がない。
 この地球には、私のような変な動物がいるから、どこかの星にも必ず似たものがいるはずだ。それを考えると眠れない。人は漠然とした夢を胸に抱いて生きている。京都の三十三間堂は「蓮華王院」という。
 1164年に後白河上皇が平清盛に造らせた。現在の本堂は鎌倉時代の再建。お堂に十一面千手千眼観音像一千一体がびっしり。
 中央には国宝の千手観音坐像(ざぞう)、左右に五百体ずつ。見た人は圧倒される。このたくさんの観音像には、会いたいと思う相手の顔が必ず
あるそうです。
 亡くなった懐かしい両親はどのあたりか。運動会の昼食にテントの中の両親を捜したことを思い出します。鶺平清盛時代からの年譜がある。鎌倉から、明治、昭和まで、あっという間に時間が流れる。観音さまの中で結婚式を挙げているカップル。ものすごい量の仏様に囲まれ指輪を交換している。仏前結婚式というより仏中結婚式。

 この地上で人は生き、人は死ぬ。鶺般若心経によれば、ここには何もありません、色も無く空です。生も無く死も無く。そういう意味のことを
いっているらしい。そうなれば何も怖くない。理屈はいらない。能、謡曲、茶の湯、書画・骨董(こっとう)、篆刻(てんこく)、一方で西洋事情に詳しい人たち。西洋哲学、歴史や宗教、理科系の天才。医学や天文、宇宙物理研究者。道元や親鸞も偉い。セザンヌ、ピカソ、バッハやベートーベン、モーツァルト。ショパンを忘れるな。柔道や剣道、弓道、銀閣寺や龍安寺の庭も金閣寺も仁和寺も南禅寺も法隆寺も好き。作陶もいいですね。その基礎知識を学校が教えてくれた気がしませんか。安山岩とか粘板岩とか。

◎学校の外で教わること
 山形県酒田の山居倉庫に、ケヤキが植えてある。ケヤキの根が水分を吸って倉庫を乾燥させる。夏は木陰で温度や湿度を管理する。山形県の農村調査を行った故鎌形勲博士がそのすばらしさを教えてくれた。調査の結果「東短西寿南病北福」という御札(おふだ)が各家の神棚から出てきた、これは枕の位置を知らせる秘密の紙切れではないかと。
 「北枕」は月の引力で、頭の血が足に引っ張られ安眠できるらしい。武士はそれを知っていて、庶民に逆を教えたのではないか。武士は、襲撃に備えて、床の間の刀をさっと取る必要がある。床の間を北に作り、頭を北に向ける。東は短命、南は病気、西はお釈迦さんの寝た方角だが、これは学校では教えてくれなかった。学ぶ内容が多すぎた。番長にも殴られそうになる。それは徒党を組み、暴力で支配する社会構造に対する練習だった。北前船が昆布を大阪へ運び「ばってら」になった。伝統の京懐石、お鮨(すし)、そば、うどん、マツタケ土瓶むし、にんにくとオリーブオイル、大吟醸にワイン、ウイスキー。グラスを手に雪を眺め、山のウサギはどうしているか。干支(えと)が兎(うさぎ)だから。
 墓の無いことを「はかない」というらしい。ピラミッドくらい大きい墓を作らないと後世に残らないのか。吉田松陰には神社がある。
 散骨が奨励されるかもしれない。
 「宇治川先陣争い」の名馬「池月」(いけづき)と「磨墨」(するすみ)。「池月」は母馬を早く亡くし悲しくて池で泳ぎ続け、筋肉を鍛えたという。見事だ。あっぱれだ。苔を集め、薔薇(ばら)を育て、蘭(らん)や菊を愛(め)で、鳥にも心を驚かす。ここで下手の横好きについて書いておきたい。囲碁も将棋も習い事も、初心からすこし上手(うま)くなる頃(ころ)が一番楽しいと。下手の横好き大賛成。「高砂や、四海波静かにて、はや住之江に着きにけり」。

2013年5月8日水曜日

最近見た夢

最近見た夢
 

 ①土手の上を自転車で走っていると海岸に出る。白い橋があり、橋に乗ると帰れない仕組みだ。
 わかっていて少し行くと、やはりこんにちはといって男が出てくる。
 笑っている男は信用できん。怖い顔でにらむと、そう頑張らんでも、わかっとるよ。僕の書いた詩がにせものだと言う。本当に鶏のよし子さんなんていたのかね。
 国語の教科書がはるおさん、よし子さんだった。いとこにもいたよ。弁解をしている。むきになって反論するのは怪しい、という。
 これが初夢。怪しくたって本当だから、と目がさめた。

②小川のそばを歩いていると、白い風呂敷が置いてある。風呂敷は「踏んだな」。という。ああ踏んだ。踏んでしまったら踏んだ踏んだと言いふらして、僕を困らせるのだろう。
 そういうと。そのとおりです。ここが入り口です。ぱっと視界が拡がって、暖かな春の雲の中を飛んで、空が光っている。これが空を飛ぶということか。すると急に寒い風。冷気の気流の谷間へ落ちる。背中が寒い。そこで目が覚めた。シーツに足が絡んでいる。背中が出ている。起きなくちゃ。起きなくては。いくつになっても親に叱られる。

 春の日に、東大寺の鐘を一人で撞いている。すごく気持ちが良くて、鳴らし放題。鳴らすことをみんなが認めて拍手する。ひょっとして僕は全国に大号令をかけてい
て、大変な地位に昇って、こりゃあ、えらいことになった。いくらなんでもこれはきっと夢だろう。しかし、これはひょっとして本当ではないか。そこで目が覚めて、朝ご飯を食べながら、ひょっとすると僕は大変なお金持ちになるかも知れないと息子に言った。するとせがれは、そういう夢を見るにはどうすれば良いのか、教えてくれ、と言う。

 後輩の白いスバル・レガシイの助手席に乗って、踏み切りにきた。おいおい一旦停止だ。大丈夫ですよ、こんな田舎に、電車はきません。おいおい危ないぞ。おい電車がきた。目の前に銀色の機関車が急に現れる。ほらみろもうだめだ。後輩は必死でハンドルを切ったが、バンパーが引っかかって、線路沿いに引っ張られていく。
 ああもうだめだ。すると車が電気機関車から外れた。よし、今だ。僕は右手で思いっきりハンドルを切った。するとありがたい、右側に細い道がある。黄色のヘルメットの作業員がこちらを見ている。作業員はきっと家に帰るから、道はどこかに続いている。しかし道はだんだん狭くなり、突然青い看板が出ている。右は、お台場、左は碑文谷とある。ひもんや。
 しばらく走っていると(環7)だ。そこの車止まりなさい。パトカーに止められて、あなたを捕まえることになっている。
 降りなさい、しかし、鉄道の線路に続く道を偶然発見した。交番を探していたのですが、これで安心、交番へ行く必要がなくなった。僕は運転していないし。すると警官は、げらげら笑って「うそばっかし」という。僕は下を向く。元旦の朝の初夢。

富山の運河

富山の運河にかかる橋をみていたら過去のことを思い出した。

驚いたこと
① 四十年以上前になるが、世田谷の親戚から受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に着いた。乗客は下へ下へ、階段を降りる。わが故郷の駅は、ホームから階段を昇る。雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。バスは、エンジンがかかっているのに動かない。田舎のバスはエンジンがかかれば発車するのだ。
 バスのドアを叩く。「等々力(とどろき)行きはどれですか」「知らない」
運転手さんは、ひどく無愛想だ。1時間後ようやく見つかった。世田谷まで2時間、夕暮れになっていた。小学校の京都修学旅行とほぼ同じ時間。    東京は広い、知らねばならぬ。翌日から探検を開始した。
 都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、2台もガレージに並んでいる。
 兄は先日やっと軽のスバルを月賦で買ったというのに。
 勝手口から大きな白い犬と娘さんが出てきた。正門から黒い車が出て来た。運転する人は白い手袋、まるで映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲。すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
 荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいたが、だらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/小さい出窓は朝日を受けて/まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
 高村光太郎の「我家」という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
 3月の大地震と大津波で、肉親や友人を亡くされた方、家や思い出の品、仕事を失い、避難所で不便な日を過ごして。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、トイレに行く何気ない日常のありがたさ、しみじみ感じている。

 驚いたこと②
  東京の国電にトイレが無いのは恐ろしいことだ。あれほど多くの人々がすし詰めで運ばれ、腹の具合が悪い人がいないとは。電車で病院へ通う人もいるはず。病院の待合室で、気分が悪くなり耐え切れずに、ベンチに横になる人がいる。
 この都会では、手術を受ける人は、ハイヤーで行くのか。高見順が病院へ行く日、電車に乗っている詩がある。

 /電車が川崎駅にとまる/中略/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/中略/さようなら/「青春の健在」帰れるから/度は楽しいのであり/旅の寂しさを楽しめるのも/わが家にいつかは戻れるからである/
 「帰る旅」
 

 入学式の朝、総武線の水道橋駅か市ヶ谷駅、腹が痛い、電車を降りた。駅員さんに聞くと、トイレは、ずっと向こうのホームの端、工事中の鉄の階段を降り、いけどもいけども到着しない。絶望寸前まで追い詰められ、1つだけ個室があり、ぼろぼろのドアが閉まっていた。取っ手も曲がっている。  
 私は、全力で、猛然とドアを引っ張った。故郷の駅では、未使用中ならドアが閉まっている。入学式の欠席は入学の意思放棄とみなされる。

 つまり、これまでの努力がすべてパーになる。冬の夜の受験勉強も、親がくれた背広も、ひとたび黄変すれば、式に出られない。
 左足を壁にかけ、腰から全力で引っ張った。あれだけ全力を出したのは後にも先にもあれが最後だ。しかし東京の駅のトイレは、未使用中は開いているのである。やがて、どんどんという激しい音と「馬鹿やろう」「ふざけやがって」怒鳴り声と共に男が出てきた。「お前、馬鹿か」。しかし、その瞬間私はドアの中に入り、間一髪だった。1ヵ月、腹の調子が悪かった。
 今は誰も信じてくれないが、やせて神経質なハンサムボーイだったのである。やがて6月にはデパートのトイレも覚え、電車の中で傘をたたむ余裕も見せた。ただしハンカチ、鼻紙はいつも忘れなかった。

 驚いたこと③
 駅のホームで、旧知の大学教授夫妻と会う。「私たち、法事で東京へ参りますの」楽しい雰囲気。特急に乗ると偶然にも座席は前後だった。先生は、奥様と相談して「きみ、席をくるりと回せ、今度、漱石の初版本を」と誘ってくれた。鯖江、武生、敦賀とも乗客は無く、先生は上機嫌、奥様は、お疲れ、うつらうつら。先生はわがまま、好きなことには
熱中するが、嫌いなことは断固拒絶する。
 列車は米原に着いた。私は若く、階段を二段ごと駆け上がるほど。先生ご夫婦も仲良く、膝を痛めておられる奥様をかばい、ゆっくり乗り換え。新幹線が着く。先生と同じ車両、席も前後である。空席が多いが名古屋から混む。「福井で切符を買うと同じところに固まるから、あちこち福井弁で、福井がそのまま移動してくる。それでえエ、ほやのう、福井弁がやたら響くんだ。あはは、さあさ、こっちこいよ、今日は愉快だ」
 先生は、車内で子供やご婦人がわあわあしゃべるのが大嫌い。列車は名古屋に到着。
 先生は古書自慢「この前、北村透谷の」その時だった。ワイワイ騒ぎながら七十代の女性が、たくさん乗り込んできた。ホームにもあふれている。先頭が私の頭上で大きな声を上げた。どいてください。私の席ですから。「え、なんだい」先生はにらみつけた。「どいてください早く」。
 私は「席は何番ですか」「〇の〇〇のD席」私の座席番号と同じだ。私は切符を見せて「そちらが間違いですよ」。先生は「そうだよ」
 するとリーダーはくるりと振り返り、「この列車は違う。全員降りて、さあ降りて」みんなすぐに下車した。先生は、「最近は、ああいうやからが多い。おっちょこちょいだ」。
 まもなく車掌が検札にきて、「お客さん、この切符は後ろからくる列車ですよ」一番前の車両に移動させられた。
 先生はその後二十年間、何度も何度も笑い転げた。あのご婦人たちの旅はどうなったのか。

 驚いたこと④
 最近、頭をカラスに蹴られた人がいる。近くに巣があり、攻撃的になるらしい。私も激しい威嚇を受けた。鳥類憐れみの令があるから、弓矢や光線銃などで報復はできない。畑に金色のテープを張り、麦藁帽子に針金を植え、自己防衛した。
 朝からぎゃあぎゃあ騒ぐ、たのむから静かにして欲しい。我々は金や名誉、おいしいものには関心を持つが、さすがにカラスは食べない。職場で「おいしい魚を食べる会」をつくり、民宿へ行ったことがある。
 上司が魚釣りの極意を披露する。まず自分を石と思え、動いてはならぬ。あいつらは目が良い、ちゃんと見ている。絶対に音を立ててはならぬ。夕食に「船盛り」。大皿に動いているイカ。今にも皿から這い出すようだ。エビやヒラメの中央に大きな「ヒラマサ」の活き造り。青く大きな頭。「ブリ」と「ヒラマサ」の違いを、またも上司は解説した。
 私は乾杯の準備をしていた。上司は、徳利から熱い酒をヒラマサの口に注いでいる。「これが一番喜ぶ」そして、人差し指を魚の口に近づけた。

 「ほれほれ」その時、ヒラマサがちらりと視線を動かしたように思った。瞬間ばくっという重い音がした。ヒラマサが上司の指にかぶりついた。
 上司は魚の頭を持って立ち上がった。刺身やサザエは座敷に散乱し、包帯だ消毒だとみんな右往左往した。その隙にイカがいなくなった。やがて机の下からほこりまみれで恥ずかしそうに出てきた。
 洗ってきますか、みんな迷った。その夜、民宿の主人から説教された。命をもてあそんではならぬ。そういうお客が時々咬まれる。

 我々も神妙な顔つきだった。反省を込めて「ヒラマサ」の会はすぐに解散した。実は、その後、昼休みになると廊下に集まり大笑いしていたのだ。 
 「罰当たり」と叫んで、魚の頭をつかんで立ち上がる場面でいつも喝采を浴びていたが、とうとう上司に見つかったのだ。


2013年5月7日火曜日

2013年5月5日日曜日

子どもの日

5月5日
一番うれしい
日本の休日
風はそよそよ
薫風だ
こいのぼりが泳いでいる

男の子が生まれると
こいのぼりが届く
電信柱をもらってきて
父は孫が生まれたとき
ものすごくおおきな
こいのぼりをあげた
国道から実家を見ると
大きなこいのぼりが泳いでいた

40年たって
その子も大きくなって
家を出た

2013年5月4日土曜日

あおぞらのもと

エビ、イカ、カルビ、ホルモン、トウモロコシ
焼きそば、つぶ貝、サザエを焼く
炭はマレーシヤ製で
なかなか火がつかない
いったん燃えればすごい
車庫に国産の高級炭があった
10年前に池田の林業家からいただいた
なつかしい白い灰
子供たちは腹いっぱいで
もう食べられない
それじゃあ
そそくさ帰って行った

2013年5月2日木曜日

備前か唐津の

渋い焼き物が欲しい
備前の重いツボ

志野もいいな
織部もいいな

古陶磁
息吹を感じて

五月を生きる


2013年5月1日水曜日

親は死ぬ

寒い朝に
冷たい雨が降って
ゆうじんの
親が死んでいる
親は死ぬさぞかし
ゆうじんはつらかろう
ゆうじんは60歳だが
私の場合は27歳の別れだった
といっても
意味はないか

2013年4月30日火曜日

雨の四月の終わり

四月の終わりに雨が降って
ラジオから
昔のジャズが流れて
ニューオリンズだったか
テネシー

ハービ・ハンコック
エルビアン・アンコック
メンフイス・アンダーグランド
などはジャズじゃないなんて
オーネット・コールマン
コールマン・ホーキンス

送別会に歓迎会
だけど僕は実はリタイア
している
だからちょっと静かに
しなければならない
と思っている
のですけれど

2013年4月29日月曜日

BBQ だった

着火マン
炭と
箸と
ビール
シャンパン
ワイン
ホルモン
小腸、千枚、赤マイ
カルビ
ロース
人参キャベツ
ああまたあの
BBQだぜい

BBQ

青空の
五月の
薫風の
こずえの風が吹いてくる
バーベキューだ
うどんに
ほたて
シャンパンに
ビール
氷で冷やして
炭火で
肉を焼く
糖尿なんて
痛風なんて
百日咳なんて
ぜんそくなんて
腰痛なんて
老眼なんて
老化性身体萎縮
脳ボケなんて
しら内臓

2013年4月28日日曜日

いい天気だ

振り返れば
天気のことばかり書いている
井伏鱒二が
「書くことがなければ、あいうえおを書いてればいいんだ」
と話しているテレビ画像を観たことがある
開高健に

2013年4月27日土曜日

雹が降った

連休の前日の金曜
あたりが真っ暗になって
あられが降って
しばらくしたら
雷が鳴って
ばらばらとヒョウが降ってきた
新人歓迎会で
もうやめよう
深酒は
18のころと変わらない
馬鹿な酒の飲み方で
後悔しきり

2013年4月21日日曜日

2013年4月19日金曜日

洗っても洗っても

車を洗い
一時間ほど走ってみると
ワイパーの跡がくっきり
扇がたに

まだゴビ砂漠の
黄砂が来ているのか

今日、北海道で地震が起きた

どうするの
その
地震と
ゴビ砂漠と

尖閣列島と

2013年4月17日水曜日

地震

淡路島、三宅島近海、宮城沖
震度5強、6弱、
いったい
どうなっているのだろうか
もしや地球が割れるのだろうか
午前中から三宅島では
震度1が21回発生して
いやなことだなあ
三宅島は13年前震度6が増えて、
噴火した。
震度1が1万回あったらしい

2013年4月16日火曜日

桜の花が散りました

俳優の田村正和が
ベントレーで
黒柳徹子が追突して
という話だったかな

ベントレーは
ロールス・ロイスに買収され
ロールス・ロイスも国有化され
兄弟でしたっけ
ポルシェが弟で兄はワーゲン
BMWに吸収されて

日本産業はルノーに
スカイラインのデータを
全部渡したのだろうか


2013年4月14日日曜日

ひまなんか

あんた かわらしのう(かわいらしい)
(あなたは少しオムツが弱いようですね)
この言葉で
日常は、ほぼ生活できる

もっとすごい言葉
「どすこき」
「どす」は非常に悪い 意味
「どすめろ」は
悪い女郎
「どす」は ばか野郎
という意味、これ以上はコードにかかる
「いやたい」
ものすごく嫌なやつ
自己紹介で「いやたいです」というと
地区の老人がひそかに笑う
「おべろんこや」 子供をあやす言葉だぜ

2013年4月13日土曜日

おんどれら

おいわれ
おんどれら
なにぬかしけつかる

ぬしゃなんばしょっとか
きさんどげんしょとね

てめえら
なにやってんだ
じょおだんじゃねえぞ

乃木さんが凱旋す、すずめ めじろ ろ●や や●んこく、
クロパトキン、きんたま、まかろっふ、ふんどし、しりべった、
タカジャッポ、ぽんのすけ、けつのあな、ながなすび、びいちびち
ちびった 

2013年4月10日水曜日

そもそもやぞ


そもそも
やぞ
お前
何のために生きているんや
おい
答えられんやろ

死なれんからか
正直やな そうかもしれん

何をするために生きてきたか
わからんやろ
いまとなっては

とにかく
朝ごはんがうまかった
子どもが大学受かった

自分は健康だと
叫び続けて
歯は抜けるし

朝には
大きな太陽が上がるのだ

おい
しっかりしろ
おまえなんか
この地球に不要なのさ

それを うすうす
感じている
のだろう






2013年4月9日火曜日

雨の中を

歩いていくと
強い風が吹き
雨が降って
寒い

暗い夜道
寒い
四月の
北陸のさみしい
街の

教会の歌

2013年4月8日月曜日

ほんとの春

外は春
ほんとの春だ

桜の花びらが
しがみついている
枝や幹に

昨日の大嵐
日本中がたいへん

春の嵐

2013年4月7日日曜日

春の嵐

春の嵐
桜に風

花に嵐は付きものだ
さよならだけが人生さ

でしたっけ
寒い日が続いています

たけのこ の 季節
そば と からい だいこん
おろしそば
あつい しょうちゅう
冷えた 酒
泡の出る シャンパンも

淡い桜の花びら
浮かべて

2013年4月4日木曜日

夢のまた夢

亡くなった人が
拡大する宇宙の中で
石畳の
河のそば
桜並木のかげに
たたずんで微笑んで
おおい
おまえ
たしかあのとき
酒を注いでくれた
ええと
名前が出てこない
たしか額田王を男だと
いった
おまえの名が
今はどうも出てこない

2013年4月3日水曜日

みたら尊

みたら尊
とは
左の手の平に
損という文字を書いて
人に見せる
その人が見た瞬間に
見たら損
と はしゃぐ
さて
この世は
何が損で何が得なのか
「損」が「尊」であればよくて
「損」が「損」でああれば「損」なのか
まるで沖縄の詩人 山之口獏さんのような
口調で

2013年4月2日火曜日

4月

まっさかさまに
落ちて
デザイヤー
さあ4月
桜が咲いた春
こうして多くの人たちが
次々と
季節の中に送り出され
あるものは生き
あるものは死に
中ぶらりんに
なっている
ものもいる

2013年3月30日土曜日

桜が咲いた

去年の3月
電話が鳴った
有名な教授から
仕事に区切りをつける
感動的な年度末を味わった
あれからはや一年
今年退職の方が
訪ねてこられた
視線は遠くに
思い出は尽きない
この25年いろいろなことが
ありましたね
外は春の風
時々冷たい雨
3月は悲喜こもごも

2013年3月22日金曜日

卒業式だ


平成8年に第1回があり
平成9、10、11、12、13、14、15、
16、17、18、19、20、21、22、
23、24、25年と
全部で17回

2013年3月20日水曜日

冬のタイヤを入れ替える

忙しいときや、ずぼらなとき、
スノータイヤの寿命が来て
捨てる年になると
5月の連休にも雪タイヤで
京都の町中を走って笑われて

今日、丹念に接地面を見た
3センチほどの釘が斜めに入っていた
あわてて抜いて、石鹸を塗るが空気は漏れていない
その横で小さな泡が絶え間なく出ている
それは、小さな点だったが、抜くと金色の金属片
久々のパンクだ
すぐにタイヤ屋さんへ3軒隣だから歩いて
すぐにぐりぐりと
ありがたい
おまけにボルトも5本買って
春に向かって

2013年3月18日月曜日

やっぱり富士は

いいな
これが富士山だあ

 
ジュスイ トレ ファティゲ
ウイウイ

今日はひどい風だった
ハード・ウインドウだった




2013年3月17日日曜日

富士山の魅力

頭を雲の上に出し
新東名高速から
 
富士は日本一の山


晴れた空にくっきりと

白い秀峰

竹取物語では

不死の山

だった

あのころからあるんです

2013年3月14日木曜日

アイス・スケート

前半うまくいっても転ぶのだ
勢いが足りないと回転しないし

氷の上に立つ靴は
頼りない鉄の刃で

きんきら滑る
うまくいかなかった人たち

うまくいった人たち
滑る滑る

自分で回る
自己中心で

2013年3月13日水曜日

強い風

今日は強い風が吹いた
扉が開いて
風が入り込む

ダイエットの番組を観る
47キロも痩せたらどうなるの

マイタケスープ
牡蠣で

マイタケだって
マイタケ

2013年3月8日金曜日

黄砂に

またゴビの砂漠の
黄砂が降ってきているぞ
車が黄色だぜ
確か昔
ゴビで核実験をしたとか
そうなら放射能がある
もう一つはpm2.5という微粒子

昔は紙、お経、漢字、建築、思想哲学
文化・文明をもたらした中国

だった

2013年3月7日木曜日

春ともなれば

あだ名の名人がいた
よく怒るブルドッグのような先生は
ばうわう

すごいな

私が白衣を着たとき
まるで散髪屋だといった
賢い

私はオートバイでさっそうと走り
ボリショイサーカスの熊みたいだ
といわれた

白髪の老職員に「エリツイン」
2分だった

子どもが生まれた人に
「ピストン」
天才だった

ガスコンロ ぼっと火がつく
瞬間湯沸かし器 かっかと燃える
ホーロー鍋 いつまでもぼんやり

自動販売機というのもあった
金を入れると動き出す

2013年3月5日火曜日

ムーン ウォーク

マイケルジャクソンのムーン・ウオーク
白塗りの
コウメ太夫

チクショー
56点だった

私もムーンを練習したのです
どうしても無重力にならない

どうすればよいか
子どもの頃
練習をしたことがあって

それはその場で動かずに
荷物を積んだ車を押す

それはうまくいっていたのに

2013年3月4日月曜日

ワザイズム

わざわざ

作家太宰治は「人間失格」で、わざと失敗した自分の
鉄棒を少年に見透かされて、死にたくなります。気持わかりますで。

 体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
 自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。それからの日々の、自分の不安と恐怖。    中央公論社「日本の文学」より

2013年3月2日土曜日

うわあ きょうは

うわあ
きょうわ
たくさん死んでいる

どうしたのだろう
寒いからか
2月で決算か
3月だからか

新聞の死亡記事が
紙面の半分になっている
まてよこれが東京だったら

毎日の死亡記事の量は
新聞紙
何ページになるのだろうか

抜けている

髪ではなく

少し抜けている
姑のほうが
嫁に好かれるという
記事を読んで

そうか
あまりぴりぴり
賢くふるまう人より
ぼんやり茫洋を
心がけないと

思う前にまてよ
すでに抜けている

心も体も
髪の毛もみんな

2013年2月26日火曜日

エジプト

エジプトのルクソールで
熱気球が墜落

毎日が淡雪
それでいて朝は

バリバリに凍っている
集団登校の列が

ゆっくりと横断歩道を
渡っていく

よく見ると児童の足元は
慎重かつ大胆に

ゆっくり歩いている

2013年2月19日火曜日

2月の雨

震度3が当たり前になっている
どこか
変になっている感じ
今日も地震があった
日本はどうなるのだろう
仕方ないか

2013年2月17日日曜日

今日はおばさまの葬儀に

母の妹が97歳で亡くなった
私の叔母である
通夜に行く
大正4年9月生まれ
冥福を祈る

2013年2月16日土曜日

翌日も

医師の診断が出て
その薬を当分飲むことになった
その薬を再び薬局にもらいに行くと
薬局の人が出てきて
キキマシタカ
と話しかけてきた

ラジオなら聞きました
ロシアに隕石が落ちたという
すごいことだ
はっきり聞いた
原爆の何十倍だったか

違いますよ
薬が効いたか
効きましたか

ちょっと待てよ
お前にそんなことを
聞かれる筋合いはない
お前は誰だ
お前は黙って
おつりを出せばよい
おつりを早くクレイ

これ なんとか ならないか

顔がかゆくて病院の皮膚科へ行った
お薬を出しておきましょう
お薬はこの病院ではなく
病院の裏の薬局で受け取ってください
薬や数量はFAXしておきます
受付で言われたとおり
病院を出て
引換券を持って薬局に行った。
ドアを開けると、マスク姿の女性達が
大きな声で「いらっしゃいませ」
「最近ですか急に悪くなったのは」
と聞くのだ。なんでお前にそんなことを聞かれるのだ
私の大事な個人情報だ、話すものか
と思った。すると「血圧は高くないですか」
「高いよ」しかし、お前、医者じゃないだろう
あのですね、もしも、もしもですよ
私の秘めた大事なところに
形もそっくりな同じ大きさの大事なものが
生えてきたとする。
二つあってもよいがまずは病院で診てもらい
薬も飲んで様子をみることになったと
して
その薬局の人が
すばらしいものを、大事なものを
二つも保持しているのですか
珍しい宝ですねえと聞かれてだ
見たければほら見せてやるよと
見せた途端に
私は職を失い翌日の新聞に出るのだろう  か

2013年2月13日水曜日

朝の風景

玄関に昔からいる
我が家の猫
キャット・ニャオンという名
です
凍てついた路面を
通り過ぎる
凍てついた風

朝の寒い寒い
風の吹く
凍てついた朝の
路面

2013年2月11日月曜日

パソコンが

パソコンがこんなに賢くなるなんて
30年前のPC9001 
データ・レコーダ、デスプレイのテレビ
全部で15万円くらいだったか

プログラムは電話帳のプログラムを
すこし入力して
土曜のお昼がカレーだった
急いで食べて自室に戻ると
機械のランプが消えていた
子どもが部屋の中で「電気を消しておいたよ」
土曜日の半日と日曜の半日がパーに
懐かしい思い出です
バックアップは大切なんです
デイスクやらMSーDOSはもっと後
DBASE3、花子、一太郎もあと

2013年2月9日土曜日

雪が降っている

雪が降っている
静かに
たえまなく
一晩中
雪は降り続いて
ガソリンスタンドも
小学校も土曜の朝だ

結婚したり別れたり
生まれたり死んだり
病気になったり
苦しいばかりのひと
背中のかゆみが消えて
ぐっすり眠ったひと
腹わたが煮えくりかえって
泣いた人も笑ったり
囁いたり親と話をしたり
子を叱ったり
亡くした親を思い出したり
どこかの海辺の灯台に
子供を置いてきた
だいだい色の思い出
旅に出ようと涙ぐんで
目が覚めて

2013年2月8日金曜日

今日は道路がアイスキャンデー

ぴっかぴかのつるつる
トラックがこちらを向いて
うしろの車輪は
から回り
運転手は携帯電話をかけている
摩擦がないと車は進まない
摩擦があると人は進むのか
摩擦があると人は
皮膚をすり減らし
心を赤剥けにして
泣き出して
毎日を過ごしていくのだろうか

2013年2月3日日曜日

雪が消えてしまって

2月になっている
まるで誰かとそっくり
目つきが鋭い
京都水族館のペンギンさん
高校生の時
2月は逃げる
といった友人がいた
たいしたものだ
言葉をよく使いこなしている
2月は案外好きだ
寒いことと
すぐに終わるから

8月より好きだ

2013年1月12日土曜日

はやいもので

正月も間もなく15日です。

正岡子規の句に

元日は除夜のあしたの名也(なり)けり
元日も二日も暮れてしまひけり

さみしい、孤独な
子規の気持ち
あと11カ月でまた正月だあ。

2013年1月2日水曜日

書初めの日

私の母は、私が正月の書き初めで墨を磨ると、
忠告しました。子供がじゃれて邪魔をしたら叩きなさい。
おそろしいな。
 私が日展入選作家、森狭江先生に入門したのは
小学校1年生の時で、畳に手をついて頭を下げました。
長続きしましょうね。その年、受賞したのは「初まいり」。
まいりの「ま」の、まるいところは、さんかくおにぎりにする
という媚びる感じがいやだった。
53年前のことです。結果は福井新聞社長賞の硯箱。
全校生徒の前で校長先生からほめられました。
我慢すれば賞がくることを知りましたが、以来、
さんかくおにぎりは書かない。受賞から遠ざかりました
大人が元気がよいと思っている太く黒々とした
紙面いっぱいの文字をみると、思い出す。
こどもは常に元気ではない、のに「元気な子」と
書かせるのは嫌いでした。筆にたっぷり墨を含ませてべたっと塗るのも、
微熱もある、書道から離れました。ガマの油売りの
鉢巻きでバケツ姿はもっといやだ。森先生は言いました
猫に墨を付けて走らせればよいのかな。
自由になるまでに50年、さすがに香典にだけは好きな書体で
自分の名前を書くことができるようになりました
60歳を超えたので、新しい表札を書いてみました

正月だ

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

・18歳から書き始めた「夏至」が完成した
・以仁王の出兵、源頼朝の挙兵、関ヶ原、
 薩英戦争、戊辰戦争、日清日露、大東亜  
 戦艦大和、陸奥長門、空襲、原爆、占領
 ひととおり読んだ
・今年は外国のことで気になることを調べる
・写真は
  「乃木大将御手植の松」沙沙貴神社