2022年12月31日土曜日

あけましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いします

今年の目標は昨年と同じです

少しでも良い詩を創りたいな

ウサギ年です 飛び跳ねて

この前 19歳だったのに

歳月は人を待ってくれない

時に及んで 勉励すべし

親がいたころは

何も思わなかった

月が欠けても洪水がきても

何にも 感じなかった

野原には花が咲き

空には鳥がたくさん飛んでいた

大人たちは

みんな笑っていた

あちこちに集まって

なにかと理由をつけて

酒を飲んでいた

だから安心だつた

そのうち みんないなくなって

自分が おじいさんと

呼ばれるようになっていた

ゆっくり歩くようになり

もたもた話すようになり

あたりがかすむこともあった

老いという世界に

入っていた

らしかった

今年も生きていく















2022年12月30日金曜日

天神さんを

 床の間に飾って 今年も

玄関のかざりも うまくいった

ガラス窓 を洗って

半分を 右手で 拭いて

反対側にスライドして

残りを

左手で 拭いて

小学校の窓ふきを 思い出す

息を かけて はあはあ

チャイムが鳴ると 廊下へ移動したな

正午 Sさんが ジャガイモ

第9の合唱を 10年連続出場したらしい

ベートーベンも さぞ嬉しい だろう

歓喜 歓喜 歓喜

夕方 Mさんから カレイ をいただく

陸や海のもの

有難くいただいて

迎春準備は 順調に 

いきました はい





2022年12月28日水曜日

三国へ行った

 海を見ている少年と

海を見ているカメに

一年のお礼を伝える

毎年 三国の海に行く

はんぺんも買うよ

雨が降っている

三好達治がいた あの岬

よく行く

今年も行った

年賀状をポストにいれた

午後3時過ぎに取りに来ると

道の駅には書いてあった

だから全国の皆さん

私の年賀状は三国から投函した

白波は寄せて返すぞ24時

則武さんの詩

三国は いいな

良さを わかっていない 人も 多い

あんとう

おしま 浜地

いいな

埼玉の稲川君は2度も やってきた

いいなと言った

栃木の兵藤君も 2度やってきた

高見順の生まれた場所さ

荒い波のとんがった場所さ

誇れる場所さ

若狭のぼくからみても

うらやましい

場所だ


2022年12月27日火曜日

今日は寒かった

 年賀状を書く

喪中で 欠礼するという

多かった

親が まだ 生きていたのか

なあんだと いじめたくなった

だけど

今まで親が 生きていたのも ご苦労様と同情した

親は早く死ぬがいい

そうすれば 子供は いつまでも 親を慕う

親も嬉しいだろう

だが親になってみれば とことん生きて

ざまあみろと 笑いたい

なにしろ

嫁が姑になる なら

親だって 出世したい

鬼親になりたい

張さんは言った

 大便は だあべん

小便は しゃおべん

似ていますね

日本と中国

どうして争うか

私は言った

近くにいると喧嘩するのさ

おかしいね 張さんは言った

私たちは 水餃子を食べた

日本は どうして焼くのか

私は言った

餃子は焼くものだ と聞いている

変ですね

張さんは言った

まあいいでしょ

あれから40年たった

私たちはあの時 飲んで 歌った

はるぴん はるぴん はる ぴん ぴん

はるびん びん びん だと

もう政治は いらないのではないか

餃子を焼くか 水餃子にするか

を 議論すべきではないか



灯油を買う

灯油と言う漢字は ロマンチックだ

寂しい漁村に波が寄せ

正月になれば 都会に行った子供が

帰ってくる

親は温かくしてやりたいから

灯油を多く買う

孫はパソコン ばかり いじって

ことしは来ないと言う

そうなると大変だから じじいは

最新のウオシュレット 

帝国ホテル同等の 最新の

便座を温めて 待っている

やっぱり寒いから いやだ と言う

これで 肥料の循環が切れた

なんでわからないのだ あほ

征露丸 鴎外だって 野菜を食って

日露戦争に勝ったのだ あほ

ああ あああ しかし

あの北の国に いま暖房はあるか

大油田はあるらしいが

自分の時間

 自分の時間を大切に使おうと思う

国は 戦争や戦争の準備はやめて ほしい

右も左も 思想ではなく普通の気持ち

吉田茂は考えたのさ

アメリカに守ってもらおう

占領されても 

お陰で 昭和は 長く 平和だった

税金で ミサイルを買うのは 反対だな

ぼくは老人だから

若い人のために 反対する

うまい酒飲んで 歌を歌って きた

せっかくもらった命 地球の 青い水飲んで きた

白い雲を眺めて

短い ヒトの生涯を楽しみましょう

鳥や動物 蛇を除けば そんなに悪い奴は いない

バッタやイナゴは大発生さえ しなければ 

熊もサメも 熊の胆 ふかひれ でいただく

さあ 人殺しは やめろ

人は 必ず死ぬのだ

小学校で 同級生 二人が 泣きながら

喧嘩をしていた 一人が噛み ひとりは首を絞めて 

ぼくたちは 怖くて帰った

2時間後 学校へ見に行くと まだやっている

今度は 一人が首を絞め ひとりは噛んで

女先生が来て バケツで 水をかけて

「ひまわり」あの映画を よくみてください


  


詩人の賞

若いころ

詩集を出して 得意になっていたら

栃木の詩人 霧林道義さんから

手紙が来た

きみも とうとう このような

詩人レースに参加して

なさけない ことだ

何をしているんだ

困ったことだ

ひとりで 風の中に

立っていなさい

叱られた

詩人になるのは 詩を通して

自分の人生を確立することだ 

詩集を出して賞をもらって威張ることではない

詩人賞の投票用紙が届き

推薦してほしいと言う詩集も届く

数票差で次点になった 可愛そうな人に

まだ ぼくは 霧林さんのように

注意できない でいる

ということは ぼくは

まだまだ だめなのだ

やはり 特選 優秀 優 良 可 

不可は やりなおし

人生を ですか いいえ 詩の行を 

それなら よかった

本棚に 子供たちの 盾がある

読書感想文 優秀賞

そういえば

太宰が芥川賞を欲しいと言った クダサイ

きみに高村光太郎を あげる

草野心平は書いた

高村光太郎 賞 の字が抜けていた と

山本和夫は、「戦争」で文芸汎論詩集賞

杉山平一も、「夜学生」で

二人とも優しい人だった

ぼくとよく似ていると

杉山さんは、突然 詩集と手紙をくれた

うれしかった






2022年12月26日月曜日

年賀状を

 出したい人から

喪中欠礼の挨拶がえらく多かった

一度飲みましょう

という楽しい年賀状があった

奥様から はがきが来た

7月に亡くなったと

それじゃあ どこで飲むのか

当分 延期だが そのうち連絡があるだろう

便利な世の中になった

電波さえ届けば

宇宙でも会話できる

「大黒屋光太夫」の漂流記

を読んでいる





鏡餅を買ってきた

 餅は餅屋というが

餅ばかり並んでいて

僕の好きな団子は休み らしかった

鏡餅は 床の間では

セロハンにくるんだまま にしてください

でないと ひび割れ します から

みると 乾燥剤が入っている

乾燥すると ひび割れする のに

そう思ったが黙っていた

僕は頭の中で 保湿剤を想像した

やがて 鏡開き のことを想像した

割るではなく 開く

剣道や柔道の 初稽古の後で

子供たちが 道着のまま ぜんざいを食べる 

そういう少年時代も いいな

餅は普通に飾ればよい 

ひび割れても いい 

そう思ったが黙っていた

サンタは寒い国へ 帰っていった 

不景気で プレゼントも少なかった

空路ではなく 駅に並んで切符を買っていたという

あれは学生アルバイトのサンタだ

プラカードを下げていた

芥川の「歯車」の世界と ぼくは違う

芥川賞はもらえない が それでいい

歯車は見たくない

ぼくの「閃輝暗点」は消えた

ありがたい



ホワイトクリスマス

キリストに敬虔な祈りを

ささげる予定だったが

イタリアン・レストランで飲んで

よたよた帰ってきた

キャビアだったかキノコだったか

聞いたことのない 料理で

有名なワインだった

ぼなセラ あるべ出る地

ちゃうちゃう バンビーナ

半年前に予約してたから

雪の中 出かけたのだ

この前 「ローマの休日」を見て

泣いてしまった

涙もろくなったものだ

外は雪が降っていた

除雪車が走っていく

戦争は寒い

独ソ戦 戦車のオイルが凍てついて

こころが 壊れそうになる

はよう やめんかい 



2022年12月18日日曜日

寒い

ぼくらの戦争なんだぜ(高橋源一郎)朝日新書を読んだ

あられが舞う畑に

豆を蒔いた

急に晴れてきた

天気予報は100センチの雪というが

1センチもないぞ

ただ寒い

寒い

寒い寒くない

というのは 寒不寒 (らんぷうらん)

と 教わった ことがあった

ハルピンから来た留学生 だった

季節は冬だ


2022年12月10日土曜日

椎の木

 椎の木を抜いた

大きくなりすぎて そろそろ 伐らないと

狙っていた

近所のおじさんが 手伝ってくれて

根を切って 掘って また掘って 切って

チェーンで ぶら下げて 引っ張って

重かった なかなか 上がらない

蝉が 3匹眠っていた 

初めて見た 可愛そうなので 別の場所

に穴を掘って 移した

根を切りながら 昔 台風が来た夜

近所の小屋から重いトタンが

降ってきて それをこの木が防いでくれた

ありがとう の気持ちが

湧いて 塩をまいて

拝んで 抜いた 重い

根っこを ばらばらにして

車に積み込むとき

小指が挟まって 眼に 土が入り 

腰が痛む

このようにしてまで 抜く必要はあったのか

この 椎の木の寿命は 40年だった

小さな苗木を持ってきたのは

親戚のおじさんだった

とっくに なくなっている

お酒の好きな 痩せた人

椎の木の お礼を 施設で話したが

記憶に ないと 言った

今日 40年ぶりに椎の木を倒し

ぼくも なんとか 生きてきた









孫が生まれた

 横浜で4人目の男の子が生まれた

僕には二人の息子がいて

その二人に計4人の息子がいる

僕は こうなると

女の子が一人いてもいいな なんて

横着なことを考える

反省しなさい

毎日 朝飯を食えるだけでも 有難い

食道や胃に 炎症があれば のどを通らない

高見順が 脳より食道が大事だと

それに腸が悪いとか肝臓やら膵臓

胆嚢やら脾臓と脳血管障害

心筋梗塞に糖尿病

おおい しっかりしろ

しっかりしろ 何してるんだ

ぼくは昨日 市役所に行った

除雪の相談に

町内を代表して

だけどなかなか 真っ直ぐな回答は なかった

つまり 雪でけんかをするな と

相手は言うのだった

そうだな




2022年12月3日土曜日

ひょっとして

 僕は 死ぬのじゃないか と思った それは

この1週間で25人の人たちと

出会ったり 会話した

ちょっとおかしいだろ

詩の仲間や昔の仕事仲間

町内会の人たち

先輩 親戚も

ちょっと異常だ

だから今日も 椎の木を抜くのに

庭にパイプで三脚を組んで

根を切りチェーンブロックかけて

引っ張り上げたが

幹がめりめりと しなり 怖くなった

今にもパイプが 折れそうで

ぱああんと幹が はじけそうで

作業を中止して家に入った

すると息子から

まもなく 子供が生まれそうだと 電話があり

まあすこし落ち着いた

4人目の孫で ぼくはじじいだから

いつ死んでも 仕方ない 西空を見上げた

そうだ もう社会は 僕を必要としていない

まてよ 前もそうだった

この地球で生まれ 死んでゆく

それだけなのだ なあんだそうなのか

命が尽きるまで朗らかに

暮らしていけばいいのだ

花のように 春を待ち

小鳥のように暖かい巣を作り

時間が来たら よいしょっと

跳んでいけばいいのだ











2022年11月27日日曜日

町内会

 若い頃は

大人たちの振る舞いに

憧れ

跳んだり跳ねたりした

今は若い人たちから

変な理屈で 支配されて

負けそうだ 

つまり お付き合いさ

誰でもまっすぐ

生きていたいから

ぼくも もっと頑強に

抵抗しようか

暴走老人というらしい

町内会で威張っても

仕方ないのに

人間ができていない

しみじみ 反省させられる

午後である







錦繍と

 うつくしいというより

微妙なやさしさ

あきは

山の葉が枯れて

落ち葉になって

もういいよこの世の美しい

色はわかった

人の心もだいたいわかった

貧しい人たちは 安い野菜を買い

金持ちはどこかの宿で 

パイナップルジュースを飲んでいる

が たいした差はない

胃の中では同じだ

ホルモンやきのせんまい

胃の中のぎざぎざ

同じさ

ココロも体も

切るか捨てるか 温存するか

死ぬまで

死ぬまで内臓に従属するか

それとも 雨の中を

影とともに歩いていくか



2022年11月17日木曜日

高見順文学碑

 安宅の関から東尋坊へ行き

高見順の詩碑を拝んできた

俺は荒磯の生まれなのだ

雨も止んで

きらきら光る

日本海の確かにざわざわと

波が寄せる

海があり

三好達治や小林秀雄

日本が敗戦の時代に

越前にいて

いろんなことを思ったが

荒磯散歩道は

何か怖い毛虫が出るような

気味の悪い道で幽霊が出そうだ

遊歩と言うわりに すこし気味が悪い

草の茂る

都会育ちの子供には

ちょっと嫌な道に思える

安心できないぞと


2022年11月7日月曜日

待ち合わせ

 久しぶりに県立図書館に行く

昔の仕事仲間がいる

順調に歳を重ねている

眼はきらきら光っているが

やや疲れている感じ

いろんな顔に会う

見たことある人

30年ぶりの人

何か催事があるみたい

講演会も

僕は一足お先に卒業した

みんな先のことを何となく

考えている

死ぬまでどうすれば生きて行けるか

どのように

楽しく生きていくか

おいしいものを食ったり

好きな音楽を聴いたり

萩原朔太郎のギター

三好達治の詩

自分に納得できる時間を

充分に味わうこと

雪も楽しみ晴れも楽しみ鳥も猫も

普通に楽しんで

時々昔の算数や国語の問題を真剣に悩んで

遠い国のことや死んだ人のことを想い

暮らしていく ちちやはは 兄弟

友人

担任の先生や 詩を書く人たち

笑っていたあの話題


2022年11月5日土曜日

詩人懇話会

 20年ぶりに顔を出した

60歳の人は80歳になって

70歳で 亡くなっている人もいた

みんな 表情は柔和だった

嫌いだった人もいた

そんなことも 忘れ

やあやあ と握手した

へたくそな詩でいいさ

生きることが仕事だ

へたくそな詩で十分だ

死ぬまで生きるんだ

それでいいさ

笑顔で別れる

彼らは地下に行く

これが最後かもしれない

地下には 車があるのだ

本物の地下に行く

わけではないよ

しばし の別れなのだ

手を振って笑いながら

わかれるのだ

笑いながら エレベータのボタンを押す

開くというボタンを押しているから

いつまでもみんな

ドアの開いたエレベータに

黙って乗っている

のだった



2022年11月2日水曜日

コスモス

 空き地にコスモスがたくさん咲いている

緊急サイレンが鳴る

10時は訓練だというが

ミサイルを合計23発

お返しもしたらしい

そういうことはしないほうがいい

ロシアが警告したらしい

コスモスを玄関に飾っている

午後は良い天気だった

椎の木を剪定した

蟻が巣を作っている

チューリップを植える花壇に土を入れる

パイナップルとジンで

ブルーハワイのようなカクテルを作りたい

ブルーチーズをかじって

ウイスキーを炭酸で割って

工具が欲しい

上等の工具

チェーンブロックで

からからと巻き上げて

根っこを取り出したい

中也と小林の気持ちになっている

友人から連絡がある

登山に行ったようだ

秋の日だ

2022年10月31日月曜日

写生大会

 昭和34年に小浜公園に銅像ができた

私は小学2年生で

銅像を囲んで絵を描く

マントに短剣を下げた三方町北前川の海軍大尉

佐久間勉艇長という

岩国沖で潜水挺が浮上せず

死の直前まで克明な手記を残した

殉死 軍神と讃えられたが

それを理解するまで20年もかかった

記憶の中にある銅像は、青い服で青い顔

青色ばかりで変な絵になった

60数年前の写生大会


 明治43年(1910)4月15日、第六潜水艇遭難、乗組員14人が殉職。佐久間勉 艇長32歳。福井県三方郡生まれ、海軍兵学校29期。ガソリン潜行実験の訓練中、午前10時45分頃、浸水発生、海底に着低した。翌日引き揚げられるが、乗組員はきちんと所定の配置で息絶えていた。佐久間艇長以下、最後まで任務を全うし、事故原因、乗組員遺族への配慮を求める遺書を残し、全世界を感動させた。遺書は漢字とカタカナで子供には難しい。漱石や与謝野晶子のこともいろいろとあるみたい。

「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠二申シ訳ナシ、・・されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、・・・・・遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり」「願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を・・・」「沈没の原因。ガソリン潜航の際、過度探入せしため、スルイスバルブを締めんとせしも、途中チエン切れ、よって手にて之を閉めたるも後れ、後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり」「沈据後の状況。一、傾斜約仰角十三度位 一、配電盤つかりたるため電灯消え、電纜燃え悪ガスを発生、呼吸に困難を感ぜり。十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ」

「一、沈下と共にメインタンクを排水せり。灯り消えゲージ見えざるども、メインタンクは排水し終われるものと認む」「電流は全く使用するにあたわず、電液は漏れるも少々、海水は入らず、クロリンガス発生せず、残気は五百ポンド位なり。ただただ頼むところは、手動ポンプあるのみ。ツリムは安全のためヨビ浮量六百、モーターの時は二百位とせり。右十一時四十五分、司令塔の灯りにて記す」「溢入の水に侵され、乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり。世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤まりなきを確信す」「一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは停止して動かず、この辺深度は十尋(ひろ)位なれば、正しきものならん 一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思ふ」「我れは常に家を出ずれば死を期す、されば遺言状は既に『カラサキ』引き出しの中にあり。(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ、之を愚父に致されよ)」「公遺言 謹んで陛下に申す。我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ。右の諸君によろしく。一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将」 「(気圧たかまり鼓膜破らるる如き感あり)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)一、船越大佐、一、成田綱太郎先生 一、生田小金次先生」「十二時三十分、呼吸非常に苦しい。ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソリンにようた。一、中野大佐 十二時四十分なり ……」

 私は、こういう上司には、会わなかった。恐らく私も任務を全うするだろう。寒い秋空を鳥の大群がうねりながら激しく舞っている。「時代」というものを感じることができる脳みそに成長した私の脳みそに感謝している。私も小浜中学(若狭高校)だから。

2022年10月30日日曜日

長い夢

 長い夢をみた

口を開けて寝ている

口の中に誰かが

細かな山砂を

園芸用の小さなスコップで

絶え間なく注ぎ込む

苦しいからやめてくれと言うが

あたりには誰もいない

小さな鶏小屋のそばで

夕焼け空の下

私は横になって

なぜか横須賀線の線路のそばを

漂っている

やがてようやく

誰かが私の名前を呼ぶ

しかしそれは私の名ではなく

名札は すでに取り外され

故郷の山の反対側の

海の中に

海草とともに浮かんでいる

船の白い船腹のあたりに漂う

クラゲの中に

よく似た表情の私が

笑っている


2022年10月26日水曜日

南信雄さんの詩碑

 天気が良いので

越前海岸の

南信雄さんの詩碑を触ってきた

風は思ったより強く

ジャンパーのポケットから

携帯電話が飛び出そうになって

思ったよりも大きい

南風

57で亡くなった

南さんらしい詩

大きな岩に刻んであった

誰も来ないのか

塗料が剥げて略歴が読めない

仕方ないな

みんな死んでしまって

海が騒ぐばかり

赤いきつねと緑のタヌキを買う

そばのかき揚げ

うまい

この世はいろいろあるが

様々で

仕方ない

ただの生物なのだ

地球の小さな生き物なのだ

私たちは



30年ぶりに会議に出て

 懐かしい顔を見て

何となく 声の張り は弱い

40歳の働き盛り

が70歳になっているのだから

仕方ない

ワイワイ言っていた人が

80歳になっている

仕方ない

顔を

出さない人

体調がすぐれない

という

衰えるのだ

人は加齢によって

衰えていく

生物なのだ

枯れ木が静かに倒れるように

朽ちて

象も倒れる

ライオンも牛もトラも

猫もカエルも蚊も

生きるものはすべて消えていく

生きていた時の思い出を残して

宇宙の塵になる

光になる


2022年10月25日火曜日

She Came in Through the Bathroom Window

 My holiday

I get up at seven in the morning

I wash my hands and clean my  teeth

summer is over


you never give me your money

 Oh

My Methodological old days

blue sky

Wild seas

Oh

My lost times 

Which do you like

tea or coffee

I like coffee 

Oh My wet dream

today I lost hot red  flower

white cloud and afternoon maps 

I like watching contrails in the sky


 

2022年10月24日月曜日

晩秋

 いい言葉だ

今日 白い雲がぽっかり

浮いていた

あたりは黄色で

麦やそばが終わり

枯れている風景の中を

車を走らせて

とうとう海に出た

海は蒼く

波は静かだった

昨日 久しぶりで友人に逢って

遅くまで飲んだ

心臓の手術をする友人は

いつ死んでもよいと

焼酎をぐいぐい飲んだ

今朝は寒かった

北海道では雪が降ったらしい

ロシアとウクライナ

国境を越えたと銃撃戦をやっている

朝鮮半島

ミャンマーも荒れて

世界は核爆弾を使う

戦争になるらしい

冗談じゃアない

暖かい鍋を囲んで

暖かい布団にくるまり

眠ろう

眠ろう

そして赤煉瓦の壁に

名も知らず咲いている

赤い花の名を

図書館で調べに行こう

晩秋なのだ

晩秋

そうだ

媚びないで

頭を下げないで

まっすぐ前を見て

歩いていこう

晩秋だから

2022年10月22日土曜日

ニンニクを植える

 石灰を撒いて2週間たって

とうとう今日はニンニクを植える

鶏糞や堆肥をすきこんで

指を入れて

その前にニンニクの

真白な球根をめりめりとはがして

植える

その前にマルチを敷いて

化成肥料をぱらぱら撒いて

できあがるのは来年の6月だそうだ

今夜は強風になって

マルチが飛ぶから石で押さえて

ともかくニンニクは机の上から

地中へと旅立った

近所の人が回覧板を持ってくる

プロ級ですね

にんにくが かい

いいえ玄関の つげの生垣ですよ

そうか

そうなのか

あかね雲がきれいな土曜日

だった


2022年10月19日水曜日

一夜明けて

外灯の電球を交換した

明るいLEDはすごく高価だった

夜が待ち遠しかったのだ

いよいよ暗闇が来て

パアッと辺りは白く

輝いてまぶしかった

ちょっと明るすぎないか

外した電球は廊下に

それは温かな色だが暗かった

廊下は もともと切れていた

暖かな電球で補充され

玄関の周りはお昼のように白く

廊下は元気がない

誕生日の翌日でありました

友人から電話があった

いよいよまっしぐらだな

どこへ向かって

誰にも媚びずに

良い詩を書こうと決めた

死んでしまう

死んでしまうと

何も残らないから



2022年10月18日火曜日

またもや誕生日を迎えて

 書架を掃除していたら 薄い詩集が出てきた

長谷川龍生詩集

 サインがあった

一晩 酒を飲んだ 夜中に

重巡「鳥海」のことで 

その夜

老詩人の脚をさすった 

冷たい脚だった 

舞鶴の駅の映像は 復員船が到着して 兵隊があふれ

そういえば父は 海軍工廠で  重巡「利根」の作業員

盥のような大きな船だと言っていた

飛行機を積むための改装だった 

父はハンサムだった 細く

今日は私の誕生日だ 

いろんなことを思い出しながら

生きている 

仕事をしているときには

振り返る余裕はないから 

過去の思い出は記憶の外に

置いてあった 

思い出に降る雨もある という

歌が好きだ 

千昌夫と吉幾三の「津軽平野」もいいな 

「長崎は今日も雨だった」 

 呼子の「おくんち」がはじまった

くじらのひょうきんさ

玄関の通路を少し修理する

あちこちで知っている人が

少しづつ亡くなっていく

寒い秋である


2022年9月14日水曜日

勢いを駆って

 今日は眼医者に行く

たくさんの人が無言で座っている

まず検査

何にも見えないが適当に

上下、横などと言いながら

眼に空気を当てられ

青い点を見ろと言うのに

赤い方を見て

バカ みたい

結局手術せよ

良くなるらしいが

眼をくりぬくのだよ

水晶体を

痛くないからとみんな言うが

かわいい子は目に入れても

目は口ほどに

ああ今日はちょっと

疲れる日だった

エリザベス女王が亡くなって

世間は騒いでいる

葬儀に出る出ないで

総理はわめいている

だが、好きにすれば

立派な歯

 長い間放っておいた歯を

この機会にと苦手な歯医者に行き

軽く長年の歯石でも削ってほしいと

結局

やはりキインとドリルの音と

冷たい水で石炭を掘るような音に

背中に汗びっしょりで

歯医者はやはり好きではないな

と お団子を買って帰る

中秋の名月で

父が死んで21年目の

アメリカのビルに飛行機が突っ込んで

葬式にみんなテレビを見ていた

あの9月11日だ


2022年8月6日土曜日

雨が絶え間なく降って

 ごうごうと降る

あんなに降れば、どこの家も、道があふれて

どこかに流れ出す

どうっと流れる

車も小屋も関係なし

どおっと

流れて

2階からみんなみている

消防が走る

あのホースで吸うのだろうか

どうするの

台湾と中国はにらみ合って

ロケット打って

どうするのウクライナとロシア

コロナは増えるし

観光地は寂れるし

うちももう少しで水浸しになるところ

朝顔に水をやり

草を抜いて

蝉が鳴いて

2022年7月24日日曜日

パソコンが壊れてしまい

 子供に連絡して

直してくれい

だが無理で 12年もたったおんぼろだ という

それで買いに行った

安いのを

まあ あと10年もてばよいから

安いのを買った

驚いたな 昨日までの機械はもう過去だ

素晴らしいな 技術の進歩

子供に手間賃を払う

安いものだ

アイスクリームを食べる


七夕も土用も終わりました

 朝顔もおおきく なり

世間では 政治と宗教

という英語がありました

りりじょおん あんど ぽりてえくす

子供がミサイルで死んでいる

村の図書館も破壊されて

これが21世紀

吉田拓郎も引退した

「夏休み」という曲

が好きだった

あれはヒロシマのことだと後で聞いたが

そういえば

畑のトンボも 姉さん先生も もういない

いなくなったのは追憶だと

それが原爆とは 知らなかった


2022年6月11日土曜日

木を伐る

 庭の木が大きくなって 伐りました

根が深く苦労して ごしごしと根切り

とうとう めりめりと 倒れて重く

根を少し切り 洗い

底を除くと 小さなメッシュの 破片が張り付いていた

それは植木鉢の底に ひいていた布

40年前に 鉢から 移した苗木

そっとはがした 

子供がクリスマスにもらってきた

小さなクリスマスの木

泣きそうになった

我慢して 

お疲れさまでした と

お礼を述べた


2022年6月2日木曜日

暑い日寒い日

 まあいろいろありましたが

落ちついて

庭の掃除をしてきゅうりに水をやり

巣箱をかけて

ゴーヤを植えて

アサガオの種を撒き

メネデールを薄めて木犀にかけたり

蚊に刺され

体重も減って2キロあと2キロで

理想的と医師に言われ

その他 誰かさんにまで 言われ

2か月すみました

その間 ロシアはウクライナをやっつけ

アメリカ大統領は韓国と日本へ

中国の外務大臣は南太平洋を歴訪し

どうするのよ

こんな丸い小さな地球で

威張ってみたって なぜなのか 政治学は

何か欠けているのか

なぜ哲学がないのか

と思う5月も終わりました



2022年5月16日月曜日

蟻 退治

 庭に植えた野菜の花を蟻がちゅうちゅう吸って

被害が出るので

重曹と砂糖をパウダー状に擂って

蟻はそれを喜んで食べ

胃の中で重曹が膨らんで

排泄できず蟻は死ぬらしい  という説と

蟻酸は重曹と化学反応を起こし 蟻は滅亡する

というのがあり ただわからないように すりつぶす

あとで見に行くと

蟻たちは緊急警報が出たらしく いない

あれほど群がっていたのに さては

本部で 滅びた のか

今頃 慌てて 禁止令を出した か

うす曇りの 嫌な日でしたが


2022年5月11日水曜日

銀木犀の剪定 と ひよどり と

 蒸し暑い日だった

書き始めた原稿に手を入れて

胃が痛くなる

いろんなことを思い出しながら

50年ほど前の 駆け出しの頃

のことを書いている

書架の整理に1か月かかった

ようやく自分の机に向かって

文字が書けた

時間を気にせず

追憶に浸るのは楽しい

と思うようになってきた

午後は大きくなりすぎた木犀の剪定

葉を細かく切って腐葉土の箱に入れて

ひよどりがぴいぴい

私の後ろを歩いている




















2022年5月7日土曜日

連休が終わりました

 四月は残酷な月だ

詩人は言いました

T S エリオット だったか

4月は残酷な月だ。

死んだ土地からライラックを芽生えさせ、

記憶と欲望をないまぜに

春の雨で鈍い根を

刺激する


ああ 五月晴れだ

庭木を伐って 枝も細かく腐葉土の箱に入れる

おまけに左の中指の先を ちょっと切った

剪定ばさみで 枝を思い切り 

痛かった すぐ 水で洗い テープを貼って

はさみで指を切る 3ミリだった

まあまあ 鳥も来たから 機嫌治して

散髪に行った

5月の連休に散髪だ

静かな良い日だった

テレビは 高速道路の渋滞と地震を映していた

ロシアの戦争と行方不明の少女

知床の遊覧船の沈没と

車は30度になっていた

ついこの前は マイナス2度で

薬缶でお湯をかけていたのに

人生は駆け足だ

と思う

2022年5月1日日曜日

畑に

 いろんなものを植えた

きゅうりとししとう

あまなが と ごーや

ねぎ エンドウは大きくなった

チューリップは終わり

庭木が一斉に新芽を吹いている

鳥たちも朝から ぴいぴい 啼いている

畑に自慢の腐葉土を入れて

今日も見回り奉行は

畑に出勤する

さあ 今日はなにしようか

先に退職した人たちは

どうしていたのだろう

10年も前から同級生は家にいて

悠々自適というが

この孤独な現実と

どのように耐えてきたのだろう

すでに亡くなったのもいるよ

どうするよ

さあ原稿を書こう

書くしかないのだ

書くぞ


2022年4月21日木曜日

発見

 ずいぶん偉いひとから

手紙をもらっていた

有名な作家や詩人

詩集を出した時、3つの新人賞の最終選考に

残っていた

思い出した

詩集を出して賞をとるレースに明け暮れる

そういう道をたどってはいけない

尊敬する詩人が手紙をくれた

審査員に媚びて賞を貰う

好きなことだから 愛想笑いは しなかった

部屋を掃除して書評を読んでいたが

審査員は みな亡くなって

思い出すら かちんかちんの粘土 

外は雨になって 

忘れていた記憶がよみがえる瞬間 

寒気がする

地中に眠る人たちの

たくさんの本に囲まれ

呼吸がつらい

詩人の仕事は ひとつ

ひとびとを幸せに

この世の様々なことを美しい言葉で描写する

なかなかそうはいかない

ある夜

長谷川龍生が話していた

いまさらにして 新しい発見の日

 

庭と畑と

 夏のような日が続いている

ウクライナの戦争も

上海のコロナも続いている

きゅうり苗に かぶせる ビニールを買う

ホトトギスが 啼いている

ほーほけきょ というから

おもしろい 草むしり

ししとう 甘長 鷹の爪 ピーマン 

20日間好きなことをしている

昨年剪定した キンモクセイのうち

大きいのが 元気がない

伐り過ぎたかも

書棚を整理する 廊下に並べて

手紙が挟んである

すでに 亡くなった人が多い


2022年4月15日金曜日

雨が降っている

 とうとう机の周りをかたづける

昔の年賀状が出てくる

すでに 亡くなった人 

お元気ですか 今年もよろしく

とうとう退職です お世話になりました

しばらくは好きな俳句の会に

楽しそうに 書き添えてある

いやあ 高齢の鬱 になりそうだ

静かに机に向かうと

膨大な時間が 過ぎている ことに

気がついて

開高健の短編を改めて読む

初めて 作家の息遣いを感じた

万年筆の筆圧のようなもの

感じた

気が付くと雨は やんで

2022年4月13日水曜日

ユズの木を抜く

 南に植えていたゆずの木も

長い間にすす病になり黒く昨年から少しづつ

伐りはじめ

とうとう根っこを掘り

暑い夏のような春に

悪戦苦闘してぼたぼたと汗して

何か所も太い根ががっしりと

それをのこぎりで切り

スコップで堀進み

最後の根っこまで

朝8時から午後5時まで

すごいものだ

根っこは地上の3倍はある

ハサミで切ると柔らかく

ごぼうのにおいがする

全部取り去って土をかけて

水をかけて

長い間お疲れさまと声をかけた

すると日陰にうっすらと

ひかりが射して

私の一日も終わった


2022年4月10日日曜日

コンクリートブロックを

買ってきて
畑に ぐるりと置いて
にらを植えて 
草を採り 急に夏になって 
排水溝の掃除をして
土曜日や日曜日には安心する
みんな休日だから
無職の人はこういう感じか
さみしいものだ

48年ぶりに無職になった
はじめは嫌だったのに
そういえば退職した大学教員は
家に来い 本を寄付する
これはお前にやる
偉い人も
旧帝大の学長も学部長も文化勲章も
電話かけてきて 書斎の掃除して
不要な本は図書館に渡し
亡くなるとご遺族がもう一度
連絡してきて
今度はごっそり整理するのだ
こうしてみんな 定年後は 畑を耕しながら 
年をとっていくのか 
味わっているが 
やはりどこか まだ 納得していない 
地球上の経済活動 定年 
耕して食糧を作ること それはわかる 
燃え尽きないのだ 納得のいく 
きちんとした 
詩が生まれていないから
なんて 言い訳を考えながら
庭の草を抜いている
雀に餌を撒いて
ほかの鳥も待っていて
この瞬間を得るために
これまで働いてきたのだと
納得させるのに
手こずっている
難しいものだ
人間は
私は

2022年4月8日金曜日

畑の翁に

 朝早くから

庭先の畑を耕して

汗をかいて

エンドウ豆の棚を作り

石灰を撒いて

スギナの根っこを取り

あちこちの地震や

ロシアとウクライナのこと

想いながら

タタールのくびき

思い出しながら

午後は自室の書棚の整理

たくさんもらった詩集

あまり読んでない

順に並べなおして

いろんな人の手紙を

読み直して

午後を終える

2022年4月1日金曜日

寒い4月


目が覚めると 
金曜日だったが
今日は出勤しない日だ
新入りの頃
紺の背広に縞のネクタイ
皮靴と鞄
朝飯も食わず
勤めに行く朝
いやだった
電話が鳴っても
出たくなかった
そのうち
椅子にもたれ
ネクタイゆるめ
残業して
48年
今日は庭の草をつまんで
学校から流れるチャイムを聞いた
5時だ
すると連休が終わった夕暮れに
海辺を歩いている
若い頃の情景が
私をはるかな宇宙空間に
誘い出す
帰れない旅が
はじまっているのか
それとも
これを得るために
頑張ってきた
ごほうびだろうか
両親に聞いてみたい








 

2022年3月31日木曜日

桜の咲く広場

まわりを見渡すと

石垣やお濠は昔のまま

水をたたえているが

背広を着て初めて勤務した建物は 

すでに消えて 辺りは 広い公園になっている

僕は今日 退職する

どこかの子供に簡単に

追い抜かれる 春だ

桜が満開の窓 

辞典や書架に別れを告げ

静かに去っていく

いろんな人と交わした言葉

想い出しながら 

手をふる







2022年3月6日日曜日

国境

 一つ山越しゃ他国の

国境

という経験がなくて

山を越すと急に

海が見える

国に生まれた

から

ハンガリーの動乱

チェチェン紛争

インドパキスタン

黒海の辺りは

タジキスタン エストニア

オデッサ よく知らないまま

これまで過ごしてきた

桃の節句

 大宰府に、梅が咲いた

という花の便り

冬将軍と聞くと

スターリングラアド ペテルグラアド の闘い

ナポレオン ヒトラーが敗れた

タタールのくびき バルカンの火薬庫

クリミア トルコ 蒙古 ウクライナ フインランド 

21世紀になったが 台湾、

北方領土 南沙 独島 

昭和9年兵 徴集された父は ビルマのインパ-ル作戦

終戦後はアーロン収容所に

88で亡くなった 葬儀の日 

アメリカのビルに飛行機テロがあり

みんなテレビを見て

座敷で眠っている父の葬儀を

忘れていたみたい 20年前のことだ


2022年2月23日水曜日

2月は逃げる

 よく言われますが

2月は短くてすぐに3月だ

それにしても次々に寒波がやってくる

南の福岡の友人からは

大宰府やらうまそうな餅の写真が届く

かわいい犬の動画やら

その写真の空が青く

北陸と全く違う

車を出すために車庫の前の雪を除き

通路を確保してまあ運動と言えば

運動だけど

スマホにはいろんな連絡が来る

大学時代の50年前の友人たち

暇になって わいわい

句会に行っているとか

毎朝 庭の隅のエサ台に 米ぬかを

鳥の餌だ

真っ白な地上に 今日も親子が待っている

時間になると ぴいぴい鳴く

寒いだろうが もうすぐ春だ


ガンガンヒータを焚く

屋根雪が融けるのがわかる


2022年2月7日月曜日

凍りついた道路

 今朝 バリバリという氷を踏む音が聞こえて

ああ 今朝も凍っているのか

起きて 寒く 凍てついた道路を眺めて

朝刊を読んで

今日 オミクロンで

学校が休み すると

外でぶうぶうとエンジンの音が聞こえ

誰だろう まあいいや ゆっくり構えて

朝食を済ませて

玄関から道路へ出ると

我が家の前だけ 雪がない

箒で掃いたようになって

笑いながら近所の兄ちゃんが

黄色の除雪車に乗って 帰っていく

お礼をしなきゃ 追いかけると

すると いやいや 除雪の練習ですよ と

ありがたかった 

それで 子供の頃のように

屋根の雪を棒で叩き落したり 遊んでしまって

その結果 頭に雪の塊を

もらって 背中まで

濡れた 良い天気だった


2022年2月6日日曜日

図書館で借りてきた本

石原慎太郎の著書「わが人生の 時の人々」文芸春秋社

この中に、小林秀雄をやり込め、水上勉を救った話が出ている。

別冊太陽の小林秀雄特集に書いてある内容と少し異なる。

高見順のことや川端康成、三島由紀夫のこと

昔の文壇の楽しい日々が書いてある。

また雪が降ってきた。寒い休日である。


2022年2月3日木曜日

節分

 大仏さんに お札をもらいに行く

子供が45歳と41歳になって

厄払いの年齢になって

ちょっと待って

子供が45歳とは どういうこと

こちらはエリック・クラプトン

B・Bキング を聴いて

007のアストン・マーチン

ショーン・コネリ

高倉 健さん そういえば

石原慎太郎が亡くなった

鎌倉から電車に乗り合わせた小林秀雄に

ランボーのことを聞いた

小林秀雄は 「勤勉な人」と 少し話をして

電車の外を見て 話さなくなった

話すのが嫌だったのだ きっと

そういえば小林秀雄が水上勉をやり込めていて

小林さん 何でも知っているみたいだけど

俺しか知らないことだって ありますよ

小林は なんだね

石原は 星空を見てヨットを操縦する術 だったか

小林は なあんだ そんなこと知らねえや いこ いこ

といって 出て行った という話

記憶がよみがえりました

別冊太陽で読んだことがある。

ご冥福を 祈ります



2022年1月27日木曜日

Sheryl Crow & Willie Nelson - "Today I Started Lovin' You Again"


 いいね

世界が平和で

みんな

楽しい地球で

ありますように



City of New Orleans

 Willie Nelsonが好きだ。 Sheryl Crowも。

ドライマテ二にピメンテ入れて

金曜の夜 古いウエスタンを聞いていたら

なんだか幸せになった

福岡の友人が 句会に行って

北風やブルドッグのふぐり

返事は どうすればよいか

サマータイム 魚は跳ねるし

住みやすいし あの歌

なぜか Sheryl Crowも 好きだ。

その理由は何となくわかっている

雪が消えかけ 春が来ている

アメリカの 素朴さ が 好きだな

あの 笑顔


2022年1月24日月曜日

地震がきたから


 福岡の同級生に

どうじや

電話した


あまり ゆれん かった

了解

で終わった

そういえば 熊本の城も

洪水も

こちら花壇を作って

花はゆきのした


何とか無事でいるが

この雪で 近所の車庫の

しゃれたカーブの屋根が

ぴしゃりと壊れて 雪の重さをしみじみ

やっぱり構造は

三角だ

生きることは

耐えること 春が来るまで

庭のねぎを収穫して

そうめん ゆでて

播州赤穂のそうめん か

肥前神埼のそうめん か

宝くじが先か 競馬が先か 株はどうか

銀閣寺の雪景色を見たい

ちなみにこの写真は「鍋敷き」

親戚のおじさんからのプレゼント

おじさんの苗字は長尾

江戸時代は「侍」だった

大切にしている

2022年1月23日日曜日

そこで 邪馬台国は

 栄えるくに

佐賀 海も穏やか 何より区画整理と 用水

定住の里 名前と土地だけ残して 消えた

スペイン風邪じゃないか 何か そのような免疫の

薬がないから

やはり 昔の冬は 想像ですが ですよ

北海道も寒い

東北から北陸も寒い

若狭から琵琶湖あたりは暖かい 

古墳がある

京都 奈良 青い青銅の瓦 朱色の丹土 につち を 均 ならすから

あおによし ならのみやこ すごいもんだな 言葉は

あおによし 都になってから 生まれた 枕詞

若狭には 怖いという意味の方言がある

きょうとい という

男の子は「きょうてえ」女の子は「きょうといで」

60年前 若狭湾の公園の建物の裏にいくと、変な言葉が聞こえる という

宇宙人やないか  中学校でうわさが広がった

今なら 何語か すぐわかる のだが

2022年1月22日土曜日

ドライ・マティーニ

 酒屋で ジンを買った

タンカレ-と ドライベルモットで

ドライマティーニを飲みたい

雪を見ながら ピメンテ

オリーブの瓶 

280円

氷を使ってぐるぐると搔き廻して

若いころ 粋がって

ドライ ドライ ドライ ドライ・マティーニ

と 背広で 足を組んで

若いから 青い いい背広を着て

今日 後ろの車にピピピイ

クラクションならされて

バックするつもり

アタルとこだった ばい

せからしか そぎゃんことなか

いつの間に車が来てたのか

灯油スタンドで

ぬしゃ あ なんば しょっと か 

これがあの池袋のバーの暗い

テナーサックスを聞きながら

そうじゃないよ、織田作之助はね

文学は文法じゃない 感覚だセンスだ

などと 

今 気が付いたのだ けれど

正月から20日も経って 邪馬台国を想像して

こちら毎日 冷たい雪が降って 寒い

ドライマティーニ 

ウオトカでもいいや

池袋 西武の地下の バイト先 

吉祥寺北町に住んで 練馬にも 

寒いと蒸留酒がいる


2022年1月3日月曜日

初詣で

 小学校の書初め大会、お題「初まいり」

だった。初は左側が難しい

「ま」は最後のところが三角になるように

「い」は思い切り右がわを元気よく見せて

慎重に押さえる。りは左を少しにして

つなぐ気持ちでたっぷりと、きゅうり、のように

そしたら「特選」になって県大会に出ることになった。

大会に行くと昨年の経験者は、すでに瓶の中に家で磨った

濃い墨を持ち込んでいた。墨汁のようなもの。僕は、初めてで

知らないから、学校の水を汲んで来て、硯に入れて墨を磨った。

しかし、練習に消費してしまい、墨がみるみる減った。

父が、「墨を磨るから、お前、字を練習しろ」感謝した。

すると、僕の書道の先生(森狭江)が、やってきて

「親に墨を磨らせるなんて、自分でやりなさい」

仕方がない。家で作ってきた連中に負けてしまう。

しかし、仕方がない。いよいよ「競書会」開始、

半紙2枚。右の隅に小さな印が押してあった。一枚目、

緊張のあまり、ささっと早く書いた。墨が心配で、力が

ないみたい。二枚目、最後だから、ゆっくり、力を入れ過ぎ、

にじんでしまった。シャープではない。試合が終わって、

家に帰る。2週間ほどたって、忘れていた。2月の朝礼、

校長先生が壇上へ僕を呼んだ。四角い箱をもらった。

中を見ると、漆塗りの硯箱だった。

ぼくは、週末に算盤検定もあるから、忙しかった。

家に帰ると、父は喜んだ。半分は父さんのものだ、と笑う。

書道塾で、試験用の半紙が裏返しの時がある。表と裏をよく

確かめて、きちんと気持ちを整えることを注意された。

ハッとなった、失敗した、と思った。楽しい、いい思い出。

小学校2年か3年だと思う。あの頃の延長だと思えば、

老後も、なんとか生きていけるような気がする。

2022年1月1日土曜日

おいら岬の灯台守は

 妻と二人で

沖ゆく船の

無事を祈って灯をかざす

灯いいを かざす

最高やわ



謹賀新年

あけましておめでとうございます

新しい年を迎えました。病気、事故、災害、いろいろ待ち受けている

困難を、ひとつひとつ振り払い、さわやかに 生きていきたい。

そう願いながら、雪を見つめています。

良い詩を書きたい と しみじみ思います。

紙もインクもあります。机も体力もあります。

感受性もまあまあ、なのになぜ書けないか。

原因はわかっているのです。

詩の神様が、どうしても、許してくれないのです。

この神様は、わがままで、私と同じ性格なのです。

他人の言うことを聞かないのです。強情で、

まあ、そのうち、私が神になりますから。

それまでの辛抱です。