2013年10月31日木曜日

ジェノベージェ

またもや
食い物のことだ

畑からバジルをかごいっぱい摘んで
松の実を買って にんにく 塩少々
オリーブオイルをかけて
ミキサーにかけて

バジルソースを作った
それを袋に入れて
冷凍して

板チョコみたいな物を作った

それを1週間後に
パキンと割って

ゆでたスパに混ぜて
溶けて

なかなかの
ジェノベージェ
だったぜい
贅のベーゼと思ったのは
妄想だったか
もう そうだった

2013年10月30日水曜日

Don’t let me down

私たちは高校生だったから
YOKOにちょっと とまどっていた
有名な財閥のお嬢さんで
学習院を出て哲学にくわしい
というのだ

Don’t let me down, don’t let me down
がっかりさせないで
Don’t let me down, don’t let me down        
がっかりさせないで
Nobody ever loved me like she does        
Oo she does, yeh, she does
あの娘ほど愛してくれた人はいない
あの娘ほど
And if somebody loved me like she do me 
oo, she do me, yes, she does    
もし誰かがあの娘のように
僕を愛してくれるなら

Don’t let me down, don’t let me down   
Don’t let me down, don’t let me down  
I’m in love for the first time
初めての恋           
Don’t you know it’s gonna last
この気持ちがいつまでも続く君は知らない
It’s a love that lasts forever
It’s a love that had no past       
永遠の愛 
過去のない愛

Don’t let me down, don’t let me down        
Don’t let me down, don’t let me down      
And from the first time that she really done me 
oo, she done me, she done me good  
最初から、良くしてくれている   
I guess nobody ever really done me
これまで誰もそうしてくれなかった          
oo, she done me, she done me good          
Don’t let me down, don’t let me down       
Don’t let me down, don’t let me down    

2013年10月29日火曜日

秋がきて

今朝のテレビは
雲の説明をしていた

わたぐも
すじ雲
巻き雲

雲の厚さで
気候がわかる

雲は地球の水蒸気

富山の大垣景雪さんが
雲という詩をしたためて

立派な額に入れて
届けてくださった

玄関に飾っている

2013年10月27日日曜日

村上一郎

東国の人びと

村上一郎著作集 国文社

日曜に、書棚から村上一郎の著作集をとりだした。
戊辰戦争で、米沢藩が謙信の旗をひるがえし
鶴ヶ城を攻めた。かつては奥羽列藩同盟の仲間だった。
会津は保科の教育を受けていた。

村上一郎は一橋を出て紀伊国屋書店で働き自刃した
当時は、桶谷秀昭や吉本隆明がはやっていた
桶谷教授は文学の担当で
「歐外」「それから以降の漱石」という、宿題を出した
それは私に多大な影響を与えた

「それから」、「門」、「こころ」
18歳の未熟な私には、もったいなかった。

東京で最高の授業を聞いた
40年間漱石のエゴに悩まされた

村上一郎が自刃した理由を
知りなさい

2013年10月25日金曜日

when I'm 64

When I’m64
1967年の「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録
されている。ポールの父親のジェームズが1966年に64歳になったそうだ。
英語がわからなくても、ホエン・ナイム・シクスティ・フォー
というくだりが好きだ。


A Day In The Life  
1967年の「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録
されている。 
ア・デイ・イン・ザ・ライフの詩に引き込まれた。
今日新聞を読んだ
ラッキーな男がいて

ランカシャーのブラックバーンに
4000も穴が開いていて舗装するという記事
始めは宇宙のブラックバーンだと思ったが地名だった

イギリス陸軍がどのようにして「戦争に勝ったか」。
I’d love to turn you onの意味が分からない


スクールバスにのる
タバコを吸いながら
ベッドから起きて髪をとかし
たばこを吸って
バスの2階に乗って

とかなんとか

I read the news today oh boy
About a lucky man who made the grate
And though the news was rather sad 
Well I just had to laugh 
I saw the photograph

今日 新聞を読んだ
ラッキーな男がいたが
悲しいニュースだった
笑うしかなかった
僕は写真を見た


I saw a film today oh boy
The English Army had just won the war
A crowd of  people turned away
But I just had the look
Having read the book
I’d love to turn you on

今日 映画を見た 
英国軍が戦争に勝った映画
大勢の人は横を向いていたが
僕はこんな顔をしていた
その本 読んだことがある
あなたを繰り返し愛したい



そういう感じだった
なによりも
そういう詩の形が好きだった


2013年10月24日木曜日

あくろす ジ ユニバース

「アクロス・ザ・ユニヴァース」は、ジョン・レノンの作。歌詞が好きです。
words are flowing out like endless rain into a paper cup
Jai Guru Deva Om は「我らが導師、神に勝利あれ」

 学生のころ、同人雑誌は「紙コップ」と命名したかった。
なにしろ言葉はとめどなく流れる紙コップに と翻訳したわっしの能力。
1967~68年の初め頃に完成され,歌詞 "Nothing gonna change my world."
は好きだった。池袋を歩きながら、ナッシング ごんな チェインジ マイ
ワールド。ナンテ ヨッパラッテ。  

2013年10月23日水曜日

湯煙夏原

伊丹十三が
湯煙夏原ハウンドッグ
のことについて
書いていた本は

「男たちよ」だったか

ガレージはギャラージュ
ジャガーは
ジャギュア

スピード・メータは
スピド・オミタ

だったか

2013年10月22日火曜日

ロッド・スチュワート

アイアム セーリング
あくろす ザ ウォーター

30年前に
ロッド・スチュワートが
アイアム セーリング
を歌って

この歌が好きだった

アイアム セーリング
アイアム セーリング

私は航海中です

航海中です
いい言葉

まさに航海中
だったので


2013年10月20日日曜日

鶏ふんを ほどこす

きんもくせいの花が
今年はものすごく激しく咲いて
しかし3日ほどで風に吹かれて散ってしまった

しかし今年は数年前から腐葉土を中心に
堆肥を作ってあるから
これに鶏ふんを混ぜて

根元に入れた
これを
「お礼肥え」というらしい

「お礼が過ぎ」て
根が焼きつくこともあるそうで
そういう気分の多い私は

少し雨が降ると 薄まるからいいかも しれない
そういうことを想像しながら眠った

朝には しっぽりと細い雨
肥料の焼け は防止された
のではないか

安心の
日曜の朝でありました

2013年10月19日土曜日

寒い

伊豆の大島は大変な被害
火山灰の地滑り
恐ろしいことだ

雨の降り方が変わった
数年前から
ごうごうと降る

かみなりは昔は
雷様であったが
今はガラガラと
うるさいだけだ

尊敬できない

秋が急速にやってきた
寒い秋だ

2013年10月6日日曜日

歯医者に行く

ヒューンと言うドリルの
回転音と
消毒液の酸っぱい臭い

歯医者はいやだな
でも

ハイ
アーンしてといわれれば
保険証出して受付して
週刊誌2冊読んで

はるばる出てきたので
仕方ないか

シュッと何か薬品をかける
ヒューンというドリルの音

ああ
私の歯が削られる
これ以上は嫌だ

ピクッと身体が嫌がる
3か所虫歯があったそうだ

そこに何か詰め物をする
綿をかませて
何か光を当てて固まらせて
ピーというまで待っている

ハイおしまい
良かったら半年後にでも
お掃除にいらっしゃい

ほんとによい医者だ

2013年10月5日土曜日

驚いたことシリーズ④

驚いたこと④
 最近、頭をカラスに蹴られた人がいる。近くに巣があり、攻撃的になるらしい。私も激しい威嚇を受けた。
 鳥類憐れみの令があるから、弓矢や光線銃などで報復はできない。畑に金色のテープを張り、麦藁帽子に針金を植え、自己防衛した。朝からぎゃあぎゃあ騒ぐ、たのむから静かにして欲しい。
 我々は金や名誉、おいしいものには関心を持つが、さすがにカラスは食べない。職場で「おいしい魚を食べる会」をつくり、民宿へ行ったことがある。上司が魚釣りの極意を披露する。まず自分を石と思え、動いてはならぬ。あいつらは目が良い、ちゃんと見ている。絶対に音を立ててはならぬ。夕食には「船盛り」が出た。大皿に動いているイカ。
 今にも皿から這い出すようだ。エビやヒラメの中央に大きな「ヒラマサ」の活き造り。青く大きな頭。「ブリ」と「ヒラマサ」の違いを、またも上司は解説した。私は乾杯の準備をしていた。上司は、徳利から熱い酒をヒラマサの口に注いでいる。「これが一番喜ぶ」
そして、人差し指を魚の口に近づけた。「ほれほれ」その時、ヒラマサがちらりと視線を動かしたように思った。瞬間ばくっという重い音がした。ヒラマサが上司の指にかぶ りついた。上司は魚の頭を持って立ち上がった。刺身やサザエは座敷に散乱し、包帯だ消毒だとみんな右往左往した。その隙にイカがいなくなった。やがて机の下からほこりまみれで恥ずかしそうに出てきた。洗ってきますか、みんな迷った。
 その夜、民宿の主人から説教された。命をもてあそんではならぬ。そういうお客が時々咬まれる。罰が当たるのだ。我々も神妙な顔つきだった。 
 反省を込めて「ヒラマサ」の会はすぐに解散した。実は、その後、昼休みになると廊下に集まり大笑いしていたのだ。「罰当たり」と叫んで、魚の頭をつかんで立ち上がる場面で、いつも私は、喝采を浴びていた。それが上司に見つかったのだ。

驚いたことシリーズ③

驚いたこと③
 駅のホームに立っていると、旧知の大学教授ご夫妻と出会う。
「私たち、法事で東京へ参りますの」なつかしく楽しい雰囲気。
特急に乗ると偶然にも座席は前後だった。先生は、奥様と相談し
きみ、席をくるりと回せ、今度、漱石の初版本をね」と、先生は上機嫌、
 奥様は朝早く、お疲れの様子、うつらうつら。先生はわがまま、好きなことには熱中するが、嫌いなことは断固拒絶。私は若く、階段を二段ごと駆け上がる。先生も、膝を痛めておられる奥様をかばい、ゆっくり乗り換え。       
 新幹線が着く。先生と同じ車両、席も前後で空席が多い。
「さあさ、こっちこいよ、今日は愉快だ」先生は、車内で子供や
ご婦人がわあわあしゃべるのが大嫌い。先生は古書自慢「この前、北村透谷の」その時だった。ワイワイ騒ぎながら七十代の女性が、たくさん
乗り込んできた。
 ホームにもあふれているではないか。先頭のリーダーが私の頭上で大声を上げた。「どいてください。私の席です」。
「え、なんだい」先生はにらみつけた。「どい てください早く」。
 私は「席は何番ですか」「〇の〇〇のD席」私の座席だったから、私は切符を見せて「そちらが間違いですよ」強く出た。
先生は「そうだよ」するとリーダーはくるりと振り返り、
「この列車は違う。全員降りて、さあ降りて」みんなすぐに下車した。
 先生は、「最近は、ああいうやからが多い。おっちょこちょいだ」。
 まもなく車掌が検札にきて、「お客さん、この切符は後ろからくる列車ですよ」一番前の車両に移動させられた。先生はその後二十年間、何度も何度も笑い転げた。あのご婦人たちの旅は、その後どうなったのか。

驚いたことシリーズ②

 驚いたこと②
 東京の国電にトイレが無いのは恐ろしいことだ。
あれほど多くの人々がすし詰めで、腹の具合が悪い人がいないとは。
 電車で病院へ通う人もいるはず。病院の待合室で、気分が悪くなり耐え
切れずに、ベンチに横になる人がいる。
 この都会では、手術を受ける人は、ハイヤーで行くのか。高見順が病院へ行く日、電車に乗っている詩がある。
/電車が川崎駅にとまる/中略/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/中略/さようなら/「青春の健在」帰れるから/旅は楽しいのであり/旅の寂しさを楽しめるのも/わが家にいつかは戻れるからである/「帰る旅」
 入学式の朝、総武線の水道橋駅か市ヶ谷駅で腹が痛い、電車を降りた。駅員さんに聞くとずっと向こうのホームの端にあるよ、工事中の鉄の階段を降り、いけどもいけども到着しない。
 絶望寸前まで追い詰められ、一つだけ個室があり、ぼろぼろのドアが閉まっていた。取っ手も曲がっている。私は、全力で、猛然とドアを引っ張った。故郷の駅では、未使用中ならドアが閉まっている。入学式の欠席は入学の意思放棄とみなされると思った。
 つまり、これまでの努力がすべてパーになる。冬の夜の受験勉強も、親がくれた背広も、ひとたび黄変すれば、式には出られない。
 左足を壁にかけ、腰から全力で引っ張った。あれだけ全力を出したのは後にも先にもあれが最後だ。
 しかし東京の駅のトイレは、未使用中は開いているのである。
やがて、どんどんという激しい音と「馬鹿やろう」「ふざけやがって」怒鳴り声と共に男が出てきた。「お前、馬鹿か」。しかし、その瞬間私はドアの中に入り、間一髪だった。一ヵ月間、腹の調子が悪かった。今は誰も信じてくれないが、やせて神経質なハンサムボーイだったのである。やがて六月にはデパートのトイレも覚え、電車の中で傘をたたむ余裕も見せた。ただしハンカチ、鼻紙はいつも忘れなかった。

驚いたことシリーズ①

驚いたこと①
 四十年以上前になるが、世田谷の親戚から
受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に。乗客は下へ下へ、階段を降りる。
わが故郷の駅は、ホームから階段を昇る。
雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。
エンジンがかかっているが動かない。
田舎のバスはエンジンがかかれば発車する。
ドアを叩く。「等々力(とどろき)行きはどれですか」
「知らない」運転手さんは、ひどく無愛想だ。
一時間後ようやく見つかった。世田谷まで二時間、
夕暮れになっていた。京都への修学旅行とほぼ同じ。
東京は広い、知らねばならぬ。翌日から探検を開始した。
都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。
日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。
プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、
二台もガレージに並んでいる。兄は先日やっと軽のスバルを
月賦で買ったというのに。勝手口から大きな白い犬と娘さん
が出てきた。正門から黒い車。運転手は白手袋、
これは映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲か。
すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。
わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいた。
しかしだらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/小さい出窓は朝日を受けて/まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
高村光太郎の「我家」という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
 三月の大地震と大津波で、被災された方々は、肉親や友人を亡くされ、家や思い出の品、仕事を失い、避難所で不便な日を過ごしている。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、トイレに行く何気ない日常。そのありがたさを、しみじみ感じている。