2013年10月5日土曜日

驚いたことシリーズ①

驚いたこと①
 四十年以上前になるが、世田谷の親戚から
受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に。乗客は下へ下へ、階段を降りる。
わが故郷の駅は、ホームから階段を昇る。
雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。
エンジンがかかっているが動かない。
田舎のバスはエンジンがかかれば発車する。
ドアを叩く。「等々力(とどろき)行きはどれですか」
「知らない」運転手さんは、ひどく無愛想だ。
一時間後ようやく見つかった。世田谷まで二時間、
夕暮れになっていた。京都への修学旅行とほぼ同じ。
東京は広い、知らねばならぬ。翌日から探検を開始した。
都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。
日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。
プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、
二台もガレージに並んでいる。兄は先日やっと軽のスバルを
月賦で買ったというのに。勝手口から大きな白い犬と娘さん
が出てきた。正門から黒い車。運転手は白手袋、
これは映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲か。
すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。
わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいた。
しかしだらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/小さい出窓は朝日を受けて/まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
高村光太郎の「我家」という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
 三月の大地震と大津波で、被災された方々は、肉親や友人を亡くされ、家や思い出の品、仕事を失い、避難所で不便な日を過ごしている。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、トイレに行く何気ない日常。そのありがたさを、しみじみ感じている。

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