2013年5月9日木曜日

先人から教わること

◎先人から教わること
 暑い夏、熱風の渦巻く市街、一匹も蚊がいない。息を吸い込む、むうっとなる。熱射病、どんな病気なのか。油断があった。生垣(いけがき)の剪定(せんてい)に夢中になり、四時間、屋外にいた。すると手が弱く震え、気分が急に悪い。はしごからゆっくり下りて額に手をやると冷たい。あわてて風呂で水を浴びる。立ち上がれない。猛烈な吐き気が三度、腹痛も。とにかく気持が悪い。

 胃も痛い、いくら水をかぶっても、自分の背中の位置がよくわからない。
心臓が重い。声がかすれる。倒れこむ。頭から額から、「ぼたぼた」と水が流れる。汗だろうか。氷が溶けるみたい。横になって三十分、ふわっと気温が戻った。テレビは「戦争特集」。ヒトラー、真珠湾、南方派遣軍の将兵。重い荷物を持って行軍する。つらいだろう。

 戦闘帽に日除(ひよ)けの布を垂らしている。幼稚園の帽子に耳垂れの布が付いている。あれだ、あれ。頭の上で巻くインドのターバン、アラビアのロレンスの風呂敷のような布。頭を護(まも)る帽子。
 
 

 子供の頃(ころ)、皮膚を焼かないと馬鹿(ばか)にされた。日焼け大会があり、本ばかり読んで遊ばない私は、青瓢箪(あおびょうたん)と呼ばれ軽蔑(けいべつ)された。生垣の剪定は暑さで中止、樹木の形はゆがんだまま。路面は六十度らしい。ミミズも焦げて焼け石に蝉(せみ)も鳴かず。


◎何が待っているかわからない
 小学校入学から十二年。朝から晩まで国語に社会に数学、理科、英語。古典文法。「せ、し、す、する、すれ、せよ。き、し、しか」。フレミングの法則、勉強の嫌いな生徒にとって、耐えられない日が毎日続く。ああこの苦しみは、いつまで続くのか。悶々(もんもん)と過ごしている児童・生徒を思うとかわいそうで仕方がない。
 中学生の頃(ころ)、有名な番長が私を月曜日の放課後にやっつけるという。友人が知らせに来た。日曜の夜、気分は最悪。思わず「はあー」と長いため息をついた。四十五年も前だがいまだに鮮明だ。
 

 あれほど暗い日は、親の葬式を除いて経験が無い。父はため息が大嫌い。「ため息をつくな、どうした」と叱(しか)る。とうとう、こまかく説明した。「人間、逃げられない時は戦うしかない。必ずチャンスがある、あごを狙え」しかし父よ、言うほど簡単ではないのです。
 
 

 翌朝の学校は、放課後の私のことばかり。いつもはかわいいマドンナさんまで、「あんた今日大変らしいな、ものすごう痛いで」近所のおばさんみたいな口調。誰も助けてくれない。
ぼこぼこにされて子分になる仕組み。午前中の授業はみるみる終わる。いつもより、すごいスピード。給食さえ何を食べたかわからない。おまけに臨時会議で下校時間が早くなるらしい。どういうこっちゃ。
 せめて四時頃まで授業して欲(ほし)しい。「青瓢箪(あおびょうたん)」が、さらに蒼(あお)ざめて下駄箱(げたばこ)へ。
 

 通路に五人立っている。できれば「透明人間」になりたい。やるなら早くやれ、しかし何も起きない。翌日、番長から廊下で呼ばれた。「俺(おれ)の親父とお前の親父は敦賀連隊で戦友だったらしいな」。
 
 

 笑顔の番長に私は混乱した。子供の喧嘩(けんか)に親が出た、いや子供の喧嘩に国が出た。泣く子も黙る大日本帝國陸軍が私を助けてくれたとは。人生は短く、学校は長い。


◎本を読めば役に立つか
 どういう人が教養人なのか。吉田兼好は「徒然草」第1段で「ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃(かんげん)の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(つたな)からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男(おのこ)はよけれ。」、すこし引用しました。
 

 この時代のダンディーは物知りで、笛を吹き、酒は少々、和歌もうまい。今も通用する基準ですね。こういう人なら、うまくいくのではないか。鴎外は「春秋左氏傳」、漱石も芥川も漢文の素養があり、近代批評を確立した小林秀雄、作家石川淳は、ともにフランス文学を基本に持っている。何を読めばよいか。
 図書館へ行くと東洋文庫というシリーズがある。
第1巻は砂漠に消えた都市「楼蘭」、ほかに「古今奇観」や「アラビアン・ナイト」「アメリカ彦蔵自伝」「和漢三才図会」や「大津事件日誌」など珍しい
題名が並んでいる。文学全集には、志賀直哉、太宰治、井伏鱒二、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、大江健三郎はわが福井の中野重治を敬愛している。
 若狭の水上勉、丸岡と関係がある開高健、みんな立派な全集がある。鶺古典では、竹取物語、枕草子、義経記、古今和歌集、今昔物語、東海道中膝栗毛、日本霊異記、古今著門集、源氏物語、平家物語。英国のシェークスピア、体力のいるロシア、トルストイ、ドストエフスキー。アメリカなら、へミングウエーかな。しかし、文学作品を読むことは何の役に立つのか。本で読んだ知識の量は多ければ多いほど良いのか。誰でも秋風が吹けば、迫り来る冬を感じることはできます。それでよいが、読書人は「秋風愁雨」という文字がまぶたに浮かぶ。秋の夜長の読書が自分の心を鍛えてくれる。おまけに図書館が無料で貸してくれる。

◎すべては夢のように過ぎて
 地平線のかなた、スペインの向こうは垂直の滝になっている、ごうごうと。宇宙には、そういうことがあるかも知れない。なにしろ宇宙の果ては誰も行った事がない。
 この地球には、私のような変な動物がいるから、どこかの星にも必ず似たものがいるはずだ。それを考えると眠れない。人は漠然とした夢を胸に抱いて生きている。京都の三十三間堂は「蓮華王院」という。
 1164年に後白河上皇が平清盛に造らせた。現在の本堂は鎌倉時代の再建。お堂に十一面千手千眼観音像一千一体がびっしり。
 中央には国宝の千手観音坐像(ざぞう)、左右に五百体ずつ。見た人は圧倒される。このたくさんの観音像には、会いたいと思う相手の顔が必ず
あるそうです。
 亡くなった懐かしい両親はどのあたりか。運動会の昼食にテントの中の両親を捜したことを思い出します。鶺平清盛時代からの年譜がある。鎌倉から、明治、昭和まで、あっという間に時間が流れる。観音さまの中で結婚式を挙げているカップル。ものすごい量の仏様に囲まれ指輪を交換している。仏前結婚式というより仏中結婚式。

 この地上で人は生き、人は死ぬ。鶺般若心経によれば、ここには何もありません、色も無く空です。生も無く死も無く。そういう意味のことを
いっているらしい。そうなれば何も怖くない。理屈はいらない。能、謡曲、茶の湯、書画・骨董(こっとう)、篆刻(てんこく)、一方で西洋事情に詳しい人たち。西洋哲学、歴史や宗教、理科系の天才。医学や天文、宇宙物理研究者。道元や親鸞も偉い。セザンヌ、ピカソ、バッハやベートーベン、モーツァルト。ショパンを忘れるな。柔道や剣道、弓道、銀閣寺や龍安寺の庭も金閣寺も仁和寺も南禅寺も法隆寺も好き。作陶もいいですね。その基礎知識を学校が教えてくれた気がしませんか。安山岩とか粘板岩とか。

◎学校の外で教わること
 山形県酒田の山居倉庫に、ケヤキが植えてある。ケヤキの根が水分を吸って倉庫を乾燥させる。夏は木陰で温度や湿度を管理する。山形県の農村調査を行った故鎌形勲博士がそのすばらしさを教えてくれた。調査の結果「東短西寿南病北福」という御札(おふだ)が各家の神棚から出てきた、これは枕の位置を知らせる秘密の紙切れではないかと。
 「北枕」は月の引力で、頭の血が足に引っ張られ安眠できるらしい。武士はそれを知っていて、庶民に逆を教えたのではないか。武士は、襲撃に備えて、床の間の刀をさっと取る必要がある。床の間を北に作り、頭を北に向ける。東は短命、南は病気、西はお釈迦さんの寝た方角だが、これは学校では教えてくれなかった。学ぶ内容が多すぎた。番長にも殴られそうになる。それは徒党を組み、暴力で支配する社会構造に対する練習だった。北前船が昆布を大阪へ運び「ばってら」になった。伝統の京懐石、お鮨(すし)、そば、うどん、マツタケ土瓶むし、にんにくとオリーブオイル、大吟醸にワイン、ウイスキー。グラスを手に雪を眺め、山のウサギはどうしているか。干支(えと)が兎(うさぎ)だから。
 墓の無いことを「はかない」というらしい。ピラミッドくらい大きい墓を作らないと後世に残らないのか。吉田松陰には神社がある。
 散骨が奨励されるかもしれない。
 「宇治川先陣争い」の名馬「池月」(いけづき)と「磨墨」(するすみ)。「池月」は母馬を早く亡くし悲しくて池で泳ぎ続け、筋肉を鍛えたという。見事だ。あっぱれだ。苔を集め、薔薇(ばら)を育て、蘭(らん)や菊を愛(め)で、鳥にも心を驚かす。ここで下手の横好きについて書いておきたい。囲碁も将棋も習い事も、初心からすこし上手(うま)くなる頃(ころ)が一番楽しいと。下手の横好き大賛成。「高砂や、四海波静かにて、はや住之江に着きにけり」。

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